2021年4月20日火曜日

エッセイの書き直し 推敲 4

 推敲しっぱなしになっていたこの論文。全部で8000字程度だが、注文は2800字である。つまり半分以下にしなくてはならない。とりあえず圧縮して4500字程度にしてみた。

パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

私は複雑性PTSD(以下CPTSDと表記)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマンがその著書 Trauma and Recovery (Herman, 1992, 邦訳「トラウマと回復」)の中で打ち出したのであるが、そのころ米国にいた私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍する盟友であるバンデアコークの実際の講演を聞き、彼女たちの熱い思いを感じたものだ。
 それ以来DSMICDなどの国際的な精神疾患の診断基準が改訂されるたび、CPTSDやそれと類縁の概念としてヴァンデアコークが提唱したDESNOSDisorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害)が正式に採用されることを多くの臨床家が期待したが、そのたびに失望に終わっていた。そして今回ようやくICD-11
 にこれが所収される運びとなった。私はこのことをとてもうれしく思う。
 私はCPTSDDESNOSも単なるラベリングであるという事は承知しているつもりである。それは患者個人の個別性を規定するものではない。しかしその上で言えば、これらはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。その上でCPTSDとパーソナリティとの関係について考えるというのが私に与えられたテーマであるが、これには少しこみいった事情がある。
 端的な言い方をしよう。ハーマンのこのCPTSDの概念には、初めからフェミニスト的なスピンがかかっていたのである。一般にトラウマ論者はフェミニズムに関心を寄せる傾向があるのは、多くの性被害に遭われた女性が治療対象となることを考えれば納得がいく。そして彼女の場合はそれを精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちへの思いをこのCPTSDの概念に重ねているのだ。ただ事情を複雑にしたのは、ハーマンはここに境界パーソナリティ障害の問題を招き入れたことである。

Webster, Denise C., and Erin C. Dunn (2005Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The Haworth Press, Inc. 28111-142

もともとハーマンはフェミニスト運動を始める前は、反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。その意味では筋金入りだったのだ。そして精神科医になるための研修をする中で、彼女はある事実に突き当たったという。それはそれまで非常にまれだと報告されている女性の性被害(女性の僅か1%しか性的虐待を受けていない、など)の犠牲者を、精神科の患者の中になぜか非常に多く見出すという事実だった。この問題をもっと明るみに出さなければならない、と彼女は考えた。以上の経緯でハーマンは1992年に「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ。(Webster, 2005)。

さてハーマンがこの本でCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来「ヒステリー」と呼ばれてきた人たちであると述べたが、具体的には、ハーマンは解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そして境界パーソナリティ障害(以下、BPD)を含んでいたという。これらの最初の二つは従来ヒステリーの解離型、転換型と呼ばれていたものであるからヒステリ≒CPTSDに含めることに誰も異論がないだろう。しかしそこにBPDを含めることには、違和感を覚える人がいてもおかしくない。ではハーマンの意図は何だったのか?
 ハーマンのTrauma and Recovery(原著)を改めてひも解くと、そこにこんな記載がある。
SDBPDDIDMPD)の三つは、今となっては古臭いヒステリーという名前のもとにまとめられていたのだ。」「患者は通常は女性であるが(…)その信憑性が疑われ、操作的であったり、詐病を疑われた。」「これらの診断は差別的な意味を伴い、特にBPDがそうであった。」(以上、Herman, 1992,p.123)「彼女たちは「強烈で不安定な関係性intense, unstable relationships を示す」(p.124)。「BPDでは、一人でいるのが辛いが、他者を疎むこともある。」(p.124)あるいはこうも主張する。「これらの三つの共通分母は幼少時のトラウマである。」(p.125)つまりハーマンにとっては、幼少時の特に性的虐待により生じるCPTSDの中にBPDの要素が占める部分は非常に大きいという事が分かる。

さてもう一方にDESNOSというのがあった。こちらはバンデアコークにより提唱された類似の概念である。これは表面上はあまりCPTSDと変わらない。あえて言えば以下のCPTSDに身体化症状を加えたもの、ということになる(van der Kolk, 2002)。その論文には、「私たちがBPDだと考えていたケースをよく調べると、その多くがDESNOSなのだ」という記載がある。そして太字で強調されているのが「患者のトラウマヒストリーを詳細に聞くと、ケースの概念化と治療指針まで変わり、それが症例の提示の仕方の理解にまで及ぶ。特にBPDのトレードマークである攻撃性、情緒的な操作性、欺きなどは悲しみ、喪失、外傷的な悲嘆などの真正なる感情に置き換わるのだ。」また「幼少時のトラウマ体験への適応として理解することで、DESNOSBPDかの判定に大きな違いが出てくる」。とも言う。つまりBPDと診断されている患者を偏見なく診ることで、それが誤診であることが分かることが多い、と主張していることになる。しかしとても重要な提言も見られる。「リサーチにより分かったのは、BPDDESNOSは重複する部分があるものの、明確に異なる状態である」「両者は表面上は似ている。ただ慢性の情緒的な調節不全はDESNOSでは最も顕著だが、BPDではアイデンティティと他者との関りの障害にの方がより重大であるというのだ。」
 これがバンデアコークさんの立場であるが、ハーマンとの微妙な温度差がそこにある。そして基本的にDESNOSBPDは別物であるという考え方なのである。
 さて1994年のDSM-IVにはこのDESNOSが掲載される筈だった。しかし渋いえんじ色のテキストにそれはDESNOSが掲載されなかった。それはフィールドトライアルの結果、DESNOSの基準を満たしてPTSDの診断がつかなかった人はわずか8%だったからだという(飛鳥井)。しかしICD-11では発想を転換して、名前もCPTSDとして、その中にPTSDの診断基準を含みこんでしまおうということになった。そしてそのうえでDESNOSのフィールドトライアルの中で頻度の多かった「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」を加えるということになった。これがCPTSDにおけるDSO(自己組織化の障害)の構成要素だ。

さてICD-11に採用されたCPTSDではBPDとの関係はどう扱われているのか?結果から言えば、CPTSDBPDの影は事実上見られない。近年のCloitreら(2014)の研究について言えば、BPDの本質的な特徴とされる「見捨てられまいとする死に物狂いの努力」「理想化と脱価値化の間を揺れ動く対人関係」「不安定な自己感覚」「衝動性」はいずれもCPTSDでは低かった…・なんということだ。また自殺企図や自傷行為はBPDでは50%だったが、CPTSD,PTSDでは15%前後だったという。このようにハーマンさんのCPTSDはようやくICD-11で日の目を見たと同時に、CPTSDBPD説は否定された形になっているのである。
 Complex Trauma and Disorders of Extreme Stress (DESNOS) Diagnosis, Part One: Assessment Toni Luxenberg, PsyD, Joseph Spinazzola, PhD, and Bessel A. van der Kolk, MD LESSON 26 Complex Trauma and Disorders of Extreme Stress (DESNOS) Diagnosis, Part Two: Treatment Toni Luxenberg, PsyD, Joseph Spinazzola, PhD, Jose Hidalgo, MD, Cheryl Hunt, PsyD, and Bessel A. van der Kolk, MD Contents 373 395 Volume 21 2001 Lessons 25 & 26

以上のことから、このエッセイの一応の結論を述べよう。やはりハーマン先生のCPTSDの概念の提出は偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への掲載により、この問題に対する啓発という目的は達成された。ただしパーソナリティ障害とCPTSD関連という問題に関しては、一つの課題を残した。CPTSD≒従来のヒステリー≒DIDSDというところまではいいが、それが≒BPDであるという点は、その趣旨は分かるが単純化されすぎていたために、多くの識者の賛同を得られるに至っていない。私の個人的な意見としても、例えばDIDにみられる患者の性格特性とBPDは大きく異なる。DIDの方の場合は相手に対する配慮や自罰的な傾向が顕著である。ところがBPDの場合は気分にむらがあり、攻撃性や怒りはむしろ外に向かうという点で方向が逆なのである。私にとってはBPDの人はその気分のコントロールが不全な点においてある種の生得的な何かを持っているように感じられる。そしてそれが幼少時のトラウマなどによりさらにさまざまな形で修飾されているという印象を受ける。

そのようなBPDの特徴と捉えるための概念として、私は最近提唱されているいわゆる「hyperbolic temperament」説に注目している。

Hopwood, C., Thomas, KM, Zanarini, MC (2012) Hyperbolic temperament and borderline personality disorder Personal Ment Health. 2012 February 1; 6(1): 22–32.
Zanarini MC, Frankenburg FR. The essential nature of borderline psychopathology. Journal of Personality Disorders. 2007; 21:518–535.

簡単に解説するならば、これはボストンのZanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、ボーダーラインの病理のエッセンスとして、Hyperbolic temperament による心の痛みが特徴であると説いた。ちなみにこの「hyperbolic」はうまく訳せない。双曲線、とか誇張された、という意味だが、「Hyperbolic temperament 誇張気質」となると、とんでもない誤訳扱いされるだろう。そこでとりあえず「HT」と表記しておくことにする。

彼らの2012年の論文を読むと、次のように記されている。BPDに関しては気質かそれとも成育環境(幼少時のトラウマ等も含まれる)かという議論がいろいろなされてきたが、結局両方が関係しているらしいということが分かってきている。そしてあくまでも気質の部分を取り出したのがこのHTであり、それは以下に要約される。

「容易に立腹し、結果として生じる持続的な憤りを鎮めるために、自分の心の痛みがいかに深刻かを他者にわかってもらうことを執拗に求める。 “easily take offense and to try to manage the resulting sense of perpetual umbrage by persistently insisting that others pay attention to the enormity of one's inner pain” (Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).

しかし私がこれを推しておいていうのもナンだが、これはDSMBPDの第一定義、すなわち「他者から見捨てられることを回避するための死に物狂いの努力」とあまり変わらない気がする。というよりは特定の他者へのしがみつき、という傾向についてはDSMの第一定義のほうが簡潔であるという気もする。さてHTはこれを「気質temperament」としている。要は生まれつき、遺伝子(というよりはゲノム)により大きく規定されている、というわけだ。「でもこれって一種の行動パターンで、経験から出来上がったものではないの?」という疑問も成り立つ。しかしこれはICD-11が作成された過程でクリアーされているのだ。どういうことだろうか?

DSM-5ICD-11もいわゆるディメンショナルモデルを目指した。ディメンションモデルとは、ビッグ5の5つ特性を挙げている。つまりネガティブ情動、制縛性、脱抑制、非社交性、離隔、の5つである。しかし何とそこに精神病性と、BPD性が加わって7つになっているのだ。つまり「精神病性のパーソナリティとBPDに関しては、ビッグファイブでとらえられませんよ。だからBPD時代を一つの人格特性として挙げますよ。」というわけだ。これは要するに、BPDをディメンショナルモデルで描くことを放棄したことになる。つまりBPDはそれをいくつかの要素に分解するにはあまりにも多くの研究がなされ、治療法も考案されているからこれは特別扱いをして残しましょう、ということだ。HTを提唱した人たちからは、BPDを素因数分解されることに危機感を覚え、これだけは特別なものとして残したいという意図があったのかもしれない。でもこれは少しおかしなことでもある。

ともかくもハーマンさんにより始まった、BPDは幼少時のトラウマの結果かという議論は、BPDの病理を把握することの難しさをかえって際立たせたとは言えないだろうか。