2021年3月14日日曜日

CPTSDのエッセイ 推敲の推敲 1

 

CPTSD(複雑性PTSD)についての随想を書かせていただく。実は私のこのCPTSDという概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年にジューディス・ハーマンにより提案された。彼女はその著書 ”Trauma and Recovery” (Herman, 1992, 邦訳「トラウマと回復」)の中でこの概念を打ち出したのであるが、そのころ米国にいた私は、この著書が周囲の臨床家にかなり熱狂的に迎えられたことを記憶している。それ以来DSMICDなどの国際的な精神疾患の診断基準は、これをそのリストに掲載するか否かの議論を重ねてきたのだ。そしてその結果として今回ICD-11 にこれが所収される運びになっていることを私はとてもうれしく思う。私はCPTSDも、そしてそれ以外のいかなる診断名についても、それがラベリングであるという事はわきまえているつもりである。そしてその上で言えば、CPTSDというラベリングはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。便利なラベリング、というわけだ。そしてそれは私が特に臨床現場で解離性障害を持つ方々に出会うことが多いという事が関係しているかもしれない。またそれ以外の理由でも私にとってCPTSDは「他人事ではない」診断だが、その理由を少しお話する。

私が最初に刊行した本は1995年の「外傷性精神障害」(岩崎学術出版社)だが、このタイトルに表されているように心的外傷により生じる精神障害(ここではそれをより現代的な呼び方である「トラウマ関連障害」と呼ぶことにしよう)は私の研究や臨床の主たる関心事であった。そしてその意味ではPTSDCPTSDも間違いなくこれに該当する障害であるが、このトラウマ関連障害という障害群には一つの大きな問題が従来から存在していた。

CPTSDは間違いなくトラウマ関連疾患であるが、従来のトラウマ関連疾患には一つの問題があった。それはDSMICDなどの診断基準の中の一つのカテゴリーにまとめられずに、バラバラに存在していたという事情である。例えばDSM-III1980)ではPTSDは「不安障害」の一つに入っており、解離性障害は一つの独立したカテゴリーがあった。また転換性障害については、それが属する身体表現性障害があった。また適応障害はこれもそれだけで一つのカテゴリーに分けられていた。PTSDも解離性障害も、転換性障害も適応障害も、「トラウマ関連障害」に属すべきものであるにもかかわらず、そのようなカテゴリーがないために、これほどバラバラに分かれていた。そしてそこにはトラウマが一群の精神障害に関連するという基本的が概念が臨床家の間に欠けていたという事を意味する。

さらに米国の精神医学会では、PTSD陣営と解離陣営は何となく綱引き状態にあった。仮にこれらを「PTSD派」「解離派」と呼ぶならば、「PTSD派」の先生方は、「こちらこそがトラウマ性の精神障害の由緒正しい疾患である」という自負があっただろう。何しろPTSDの筆頭として挙げられていた戦争神経症の症状群を想定して作られたのが、PTSDの診断基準だったからである。それに対して「解離派」は、「解離」こそがトラウマに対する心的な反応のひとつのプロトタイプであり、自分たちはそれを扱っているのだ、というプライドがあった。もちろんPTSD派の自負もわかるが、「そもそもPTSDの症状は、フラッシュバックも、鈍麻反応も、結局はある種の解離性の反応ですよ。」と解離派の先生方は言いたかったであろう。そしてこの両者は結局は折り合いがつかない運命にあるのかも知れない。何しろPTSDは「トラウマが生じた後に起きている状態」という記述名であり、解離性障害は心の機能が分かれてしまっている状態、という症状名に由来する。つまり一つの状態に二つの切り口から診断を当てはめるわけであり、一人の患者が両方の基準を満たしてもいいのである。何しろこれらは同じ「トラウマ関連障害」の両看板なのだ。

このように考えると両陣営の「綱引き」は実に不思議な現象と言えるが、これは解離という現象に独特な事情があるのかもしれない。解離はそれを扱うことを臨床家に躊躇させるような何かがある。PTSDの治療にはプロトコールがあり、それを裏付けるような生物学的なメカニズムが明らかになりつつある。少なくともフラッシュバック、過覚醒症状などは脳生理学的な現象として検証することができる。そしてその治療手段としての暴露療法などもいわば認知行動療法の一つとしてプロトコール化されているのである。そしてそれは精神科医の持つ理系心を刺激するのであろう。ところが解離現象はそれが極めて主観的な訴えであり、しかも治療の対象とすべき患者自身がそれを否認したり隠したりする可能性がある。それと関係してか、解離症状や転換症状には、それが詐病ではないかという疑いがかけられやすい。それもあって解離に興味がある、と積極的に仰る精神科医はPTSDに比べてかなり少ないという印象を受ける。