さてありがたいことにこの両陣営には現在歩み寄りが見られている。PTSD陣営も解離に興味を示し、その用語を積極的に用いている。その一つはDSM-5におけるPTSDの「解離タイプ」が掲げられたことにある。これはPTSD研究により、患者の示す生理学的な所見に二つの異なるタイプが提唱されたという事情があり、そこにはポージス先生の「ポリベイガル理論」が大きく一役買っていることは間違いない。つまりPTSD派にとってこれまでつかみどころがないという印象を与えていた解離現象には、目に見えて数値化できるような指標と、それを裏付けるような科学的な理論が提示されたわけである。そしてそこで示された「PTSDの解離タイプ」(ただし実際のDSM-5の手引きによれば、「(解離症状を伴う)PTSD」という風に少しトーンが下がっているが、まあいいだろう。)において「解離症状を伴う」という事はそれだけ幼少時から繰り返されたトラウマ体験が関与していることが多いことを示す。つまりそれはより「CPTSD的」なPTSDという事になるのだ。
そしてもう一つの理由は言うまでもなく、ICD-11の草案におけるCPTSDの掲載であった。「ザ・トラウマ関連障害」の登場である。CPTSDこそが幼少時からの繰り返される外傷体験が前提となる。(ICD-11による定義は必ずしもそれは明らかではないことは不思議である。長期の捕虜体験などが筆頭に上がってくるからだ。)そして幼少時のトラウマに必然的に関連してくる解離はそこに最初から組み込まれていることになるからだ。
基本的には私はCPTSDがICDに掲載されることに賛成である。歓迎すべきことは、このCPTSDの登場が、識者の間に大きな波紋を呼んでいるということだ。誤解を生むかもしれないが、この概念はある一つのマーケットを形成した。CPTSDの特集が組まれる。それに関する論文が書かれ、リサーチがなされる。「自分は果たしてCPTSDに該当するのか?」という当事者の方々の関心も集めるだろう。そうして人々はこのことで議論をし、関連する問題、例えばBPDやトラウマに関する興味や関心を掻き立てたことは間違いない。そして当然ながらCPTSDの賛成派と反対派が何となく出来上がり、活発な議論を交わすことにもなろう。私はこのCPTSDが開拓したマーケットは有益なものであると考える。それが様々な問題への関心を深め、問われるべき問いを洗い出す限りにおいて意義があると思う。それらを具体的に述べて終わりにしよう。