2021年3月13日土曜日

CPTSD のエッセイ 推敲 3

  CPTSDICD-11への掲載をきっかけにして、トラウマ治療の意義が問われるようになってきている。このタイミングで出版された原田誠一先生編著の「複雑性PTSDの臨床」が送られてきた。その一つの章を担当しているので献本を戴いたというわけだが、これは学術誌「精神療法」の特集の拡大版としてつくられたのである。これを読み通すことで、現在のトラウマ治療をめぐる議論が一望に見渡せる気がした。そこで一番問題になるのは、トラウマ(記憶)にどのように治療的なアプローチを行うかという点である。トラウマの治療であるから、当然ではないか、と思うとしたら、それは再考が必要である。それを考えさせてくれたのが、同書に収められている杉山登志郎先生の論文「複雑性PTSDへの治療パッケージ」(p.91~104)である。これを紹介したい。

 先ず先生の文章はかなり刺激的な表現を用いている。例えば次のような文章。「精神療法の基本は共感と傾聴だが、(中略)トラウマを中核に持つクライエントの場合、この原則に沿った精神療法を行うと悪化が生じる。」(p.91

これを読んで途方に暮れる人もかなりいるのではないか。これは例えば治療者の受け身性を強調する力動的(分析的)精神療法に対するものかと思えば、トラウマに焦点化された認知行動療法(いわゆるTF-CBT)や暴露療法などもその対象になる。それらは「トラウマ処理が大精神療法になってしまう」という。「圧倒的な対人不振のさなかにあるCPTSDのクライエントに、二週間に一度、8回とか16回とかきちんと外来に来てもらうことがいかに困難な事か、トラウマ臨床を経験しているものであれば誰しも了解できるのではないか」というのだが、これはTF-CBTのプロトコールもさしてのことである。そしてその代わりに先生は「簡易型のトラウマ処理」を提唱する。そして講習によるライセンス性なしで行えるべきだという。そして「なるべく短時間で、話をきちんと聞かないことが逆に治療的である」!!!

この杉山先生の論文は、実はトラウマを扱う私たちの直面する問題にかなり直接的に訴えてくるテーマである。私たちは最近「トラウマ性の精神障害」という概念を手に入れるに至っている。PTSDCPTSDはその筆頭格である。しかしそれに対する治療がどの様なものになるかについては、奇妙なことに、CPTSDの様な「トラウマ関連疾患には『トラウマ治療』はしないほうがいい」という逆説がありうるという問題がある。もちろんこれは杉山先生一流のレトリックであり、事実彼自身が考案している「簡易型トラウマ処理」(TSプロトコール)と呼ばれるものである。いわばトラウマ関連疾患には、「正しいトラウマ治療」を行うべきだというロジックになる。そしてそこで肝要なのは、「フラッシュバックの蓋が開いてしまい収拾がつかなくなる」ことを避けることが必要という事だ。そのためには子供、成人を問わず、一日のスケジュール、睡眠、食事などの健康面に関するチェックを行い、その上で短時間でトラウマ処理を行う、という。ではトラウマ処理とはどういうものかと言えば、トラウマの記憶の想起をさせないで処理をするという。そのために左右交互刺激と呼吸法を行うという。その際はパルサーという身体に交互刺激を与える器具と呼吸法を用い、身体の違和感をモニターしていくという。

 この後解説は多重人格状態についてのそれになるが、この杉山先生の手法はトラウマ記憶を直接は扱わないという点が特徴と言える。私は杉山先生には大いに敬意を払いつつ、「トラウマ記憶を扱う」場合についての論じる必要がある。なぜならトラウマ記憶は向こうから語られることも多いからだ。それを無視することはできないだろう。

杉山先生はDIDの人たちには「簡易版自我状態療法」を行うというが、それは私が「心の地下室」と呼んでいるものと近い。(ただし先生は心の地下室、という表現には賛成なさらない。)まずは安全な場所、例えば地下室、公園の緑の芝生などを想像してもらい、そこに小さな家をイメージしてもらう。その中には小さな部屋がいくつもあり、またそこに好きなものを持ち込んでいい。そしてそこで「みんな集まれ」と「パーツ」に集まってもらう。出てこない人がいればそれでもいい。名前を確認し、それから心理教育を行う。皆が大事であることを告げ、それぞれが辛い記憶を持って生まれたことを伝える。そしてみな平和共存することが大事であるとも伝える。そしてそれぞれに「簡易処理法」を行うが、まずは小さい子供を優先するという。そこには交互の身体部分のタッピングが主たるアプローチとなる。

杉山先生が言っているのは、「全パーツの記憶がつながれば、人格の統合は必要ない」ということだ。そして彼が言うには、これを実際にやってみると、必要なのは最初の45セッションであり、それからあとは皆で話し合ってね、とクライエントに任せてしまうという。杉山先生は少し極端でprovocative な言い方をなさるが、真意は「患者さんの役に立つことをすべし。害になるようなことはすべきでない」という極めてまっとうな議論である。良いものは取り入れ、よくないものはたとえどこかの学界でお墨付きが得られているものでもばっさばっさと切っていく。気持ちがいいのである。