私は基本的にはCPTSDという概念の登場により、トラウマ関連障害の議論はより本格的なものになると考える。そして同時にBPDとは何かといった議論も深められると考える。何しろハーマンが最初に「CPTSDは結局BPDだ」という少し極端な提言をしたのだ。という事はCPTSDの概念の精査とともに彼女の発言の信憑性も問われることになる。私は個人的にはBPDをトラウマ関連障害とは考えないので、この議論に関する是非がさらに問い直されるきっかけとなった。私はこれから起きることは、あの人もこの人もCPTSDだ、という議論であり、いわゆるオーバーダイアグノーシス(過剰診断)であろうと思う。そしてそれは「何もかもCPTSDというのはいかがなものか?」という議論が生まれることで、揺り戻しに遭い、最終的にCPTSDという診断が下るのにふさわしい患者さんが選ばれることでより良い治療を得られる機会が生まれるようになればいいだろう。
この過剰診断とそこからの揺り戻しという現象は、最近では「発達障害」で起きていることである。学会や研究会のケース検討の場で思うのは、かなりの頻度で「でもこの方、発達の問題もありそうだね」という意見やコメントが出され、確かにその可能性を考えることでケースの理解が一歩進む(ような気がする)という体験を持つということである。そして発達障害について指摘する人たちの中には、「男性はある意味で程度の差こそあれ皆発達の問題がある」という人もいて、一部の人々からは顰蹙を買い、より適切な診断が付けられるようになるだろう。
ただし私は現在ICD-11のCPTSDの診断基準には不満がある。すでに述べたように、ICD-11によれば、CPTSDはPTSD
+ DSO という形を取っている。つまりPTSDの基準を満たしたうえで、「自己組織化の障害」が生じているものを言うのだ。これはすっきりして紛らわしさが少ないのはいい。しかし本当にこれでよいのか。例えば幼少時に繰り返し虐待を受けた思春期以降のケースを考える。そして最初はそのトラウマのフラッシュバックが生じていたが、大人になりそのフラッシュバックが治まるとともに多彩な解離症状を示すようになるとしよう。その人は大人になった時点でPTSDという形を取るだろうか。その人は恐らく自己感や対人関係上の問題(DSO)を有しているだろうが、典型的なPTSDの症状をもはや取らない場合もあるのではないか。
このことを知るためにはDIDと診断される人がどの程度の割合でPTSDとしての併存症を有するかを調べてみるといい。
Şarという専門家の論文には、DIDの人が生涯のうちでPTSDの診断を有するのは46.7% ~ 79.2%であると記している。まあ6,7割としよう。すると3,4割のDIDの患者さんにはCPTSDはつかないということになる。しかしDIDの殆どの方は「私の考える」CPTSDの基準を満たしているのである。
Şar, V. (2016) The psychiatric comorbidity of dissociative identity
disorder: An integrated look. In: Shattered but Unbroken: Voices of Triumph and
Testimony. Eds: A. P. van der Merwe & V. Sinason. Karnac Press, London
(pp.181-210)
肝心のDIDの方を掬い取れないCPTSDって意味があるのだろうか?これは問題だ。