という事で、ハーマンさんのフェミニストぶりを知りたくて調べていたら、すごくいいものを発見した。これもネットで無料で手に入れた。
Webster,
Denise C., and Erin C. Dunn (2005)Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The
Haworth Press, Inc. 28:111-142
ちなみにハーマンさんは母親が Helen Block Lewis というイェール大学の有名な心理学の教授で、私はたまたま彼女が1971年に「神経症における恥と罪悪感 Shame and Guilt in
Neurosis」という本を書いているので知っていた。しかし特にルイス先生がフェミニストであったという記述はないから、ハーマンさんのフェミニズムは母親との葛藤から生じたというわけではない(そのようなパターンもあるにはあるのである)。むしろハーマンさんは「心的外傷と回復」でも母親に対する謝辞を書いているから、母娘関係は良好だったのだろう。実際にメニンガーに招かれた際に見た印象も控えめてむしろシャイといった印象がある。このような面が彼女を怖いフェミニストの女傑達とは異なる印象を与え、彼女の言説が広く受け入れられたのだろう。
さてこの論文によると、もともとハーマンさんは、フェミニスト運動を始める前は、反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。その意味では筋金入りだったのだ。そして精神科のレジデントをする中で、ハーマンさんはどうしてあれだけまれと思われていた性被害の犠牲者がこれほどいるのかを不思議に思ったという。たしかにその頃はその様に言われていたらしい。女性の性被害はまれで、それによる精神的な被害も稀である、と。ところがレジデント時代にあった患者さんの非常に多くは性被害の犠牲者であった。1975 年に彼女は最初の協力者 Lisa Hirschman とともに研究を発表し、その頃は女性の僅か1%しか性的虐待を受けていないという数値に対して現実がいかに違うかを主張したという。また彼女は1986年の研究で、190名の女性の精神科患者を調査し、三分の一の患者が身体的、性的な虐待を受けていたと発表した。(現代の見地からは、この数字はむしろかなり低いと言えるかもしれない。)
このような経緯をだどって、ハーマンさんは「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ。しかしこの論文ではこのような内容が書いてあり、これは重要だろう。「ハーマンさんの仕事は、フェミニストではない人たちを遠ざけることなく、フェミニズムに焦点づけられていた。」そう、ここが大事なのである。