Slavin, MO. (2013) Meaning, Mortality, and the Search for Realness and Reciprocity: An Evolutionary/Existential Perspective on Hoffman’s Dialectical Constructivism. Psychoanalytic Dialogues, 23:296–314, 2013.
スラビンはホフマンの弁証法的な視点をuniversal features of the human condition と呼ぶ。そして人が知性を得て抽象的な思考を操れるようになることで払わざるを得なくなった代償は私たちが有する有限性 finitude であり、対象はやがて失われるという儚さtransienceに直面することであるとする。Slavinは言う。人間の意味は、愛も、目的も、美もそれは残念ながら永遠には続かない。無限の宇宙の中にあって私たちにたまたま一片の時間と一粒の場所をあてがわれているという事実は意味を侵食し、流し去ってしまう。しかしホフマンはそれを悲劇的ではあっても、grim (冷酷でぞっとするような)ではないという。そしてスラビンはそれをむしろ、美や高貴さや深遠さ beauty, nobility, and depth を備えているという。このようにスラビンも儚さであらわされるような私たちの在り方を美としてとらえるが、その根拠はあまり示されない。それはBecause it’s hard won.と述べているが、フロイト自身のtransient value is a scarcity in time と同様の簡潔さでもある.しかしスラビンはそれが人間に真正な個人的な意味を与えるという。making authentic personal meaning on face of both our mortality and of the alienating pressures of the world towards conformity and accommodation それは私たちが己の限界性という真実と向き合うことの道徳的な価値を強調しているようである。
スラビンの議論の特徴は、ホフマンの述べる弁証法的な視野を、自己と他者の緊張関係についても広げて論じた点である。私たちの持つ有限性finitude にはこの世には自己だけでなくOtherness他者性が存在することをも含む。私たち主体性の大部分は他者の主体性から吸収されているものであるとする。私たちのアイデンティティは他者との緊張関係により成立しているのである。さらにスラビンは死すべき運命の過酷さを緩和する母親の役割についても触れている。ホフマンは親の半ば神的な立ち位置 semi-deities により子どもに自分たちが選択されその生には意味を持っているという感覚を与えられる。その意味では特別な意味での他者と言えるだろう。しかしその親はまた自分自身を愛しているという事実にも直面する。