2021年2月23日火曜日

儚さ 12

 では日本の京都学派による哲学は精神分析に何かを伝えることが出来るか、という問題について考えよう。私はそれも可能であろうと思う。フロイトは弁証法的構成主義の考え方の萌芽をそこに含んでいた。それは実存的なパラドクスという形で問いとして投げかけられており、ホフマン、スラビンなどにより言葉を与えられた。ホフマンの言葉を借りるならば、それは「時間的な有限性の気づきが、物事からの価値を奪う恐れがあると同時にそれらに価値を与えるという逆説 Awareness of temporal limitation threatens to divest things of their value and lends them value at the same time.(R and S, p.49)」としてとらえるという方針である。この種のパラドックスについては、実はウィニコットが使用したレトリック(例えば「対象は発見されると同時に想像されるのである」、とか「他者といて同時に一人」でいる能力、本当の自己は実体を持たない、など。)に豊富な例を見出すことが出来るが、実際には間主観性の流れないしはいわゆる関係精神分析の流れの中に息づいていると言えよう。Thus the basis of the capacity to be alone is a paradox; it is the experience of being alone while someone else is present Winnicott, 1958, P417

D. W. Winnicott (1958) The Capacity to be Alone (1958). International Journal of Psycho-Analysis, 39:416-420 .

この種のパラドックスの表現は、空や無を媒介とした日本の哲学によってよりよく表現されているように思う。例えば色即是空という表現である。これは般若心経にある言葉であり、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」(色は空と異ならず、空も色と異ならず、色即ち空なり、空すなわち色なり。 般若心経The Heart Sūtra すなわち、目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)という教えである。般若心経は8世紀に遡るとされるが、これはフロイトの「儚さ」をはるか昔に先取りしていると言える。古くから仏教に慣れ親しんだ日本文化においては、西田や西谷により唱えられた無や空の概念をより日常的にないしは直感的にとらえる素地が出来ていたと言える。

 英語版WIKI様の記述を借りてみる。"Form is emptiness (śūnyatā), emptiness is form."
It is a condensed exposé on the Buddhist Mahayana teaching of the Two Truths doctrine, which says that ultimately all phenomena are sunyata, empty of an unchanging essence. This emptiness is a 'characteristic' of all phenomena, and not a transcendent reality, but also "empty" of an essence of its own. Specifically, it is a response to Sarvastivada teachings that "phenomena" or its constituents are real.  

Beginning from the 8th century and continuing at least until the 13th century, the titles of the Indic manuscripts of the Heart Sutra contained the words “bhagavatī” or "mother of all buddhas" and “prajñāpāramitā”.

 そしてそれを臨床的に精緻化したのが森田療法や内観療法である。森田療法では治療の目標を患者が捉われから脱して現実をあるがままに受け止めることにおいているのだ。An additional goal is to attain “arugamama,” or the Zen Buddhist ideal of accepting as they are (Tatara, p230)

In Naikan therapy the meditation-based practice is aimed at becoming aware of how much contribution his mother, father, siblingws etc. Both of these methods urge patients a passive acceptance.

Tatara, M (1982)Psychoanalytic Psychotherapy in Japan; the Issue of Dependency Pattern and the Resolution of Psychopathology. Journal of the American Academy of Psychoanalysis, 10:225-229.

であり、それに命を与えているのが禅の精神である。森田療法の創設者森田正馬は、当時流入しつつあった精神分析と苛烈な論争を戦わせたことで有名である。そしてその教えは精神分析に欠けていたものを追及している可能性がある。それは矛盾を併せのみ、そこに言葉の介入を頼らないという姿勢である。ある種の体験を通して自然の摂理やそこにある不条理さを学ぶという性質を有している。そのことに戦後に触れたのがホーナイであったことは興味深い。