2021年2月24日水曜日

CPTSDのエッセイ 4

 211日に書いて以来ほったらかしにしておいた「CPTSDのエッセイ」 。もはや書いた内容も忘れたが、それは「寝かせて」おいたともいえる。今度少し欧米の文献を読んで考えていた。

CPTSDをめぐる議論はこんな感じらしい。

1990年代にされたジューディス・ハーマンさんのCPTSD、バンデアコークさんのDESNOSはどちらも似ていて、少し極端でセンセーショナルな概念だった。つまりBPDはトラウマ由来であり、多くがPTSDを合併しているという議論だ。しかも頻回のトラウマをおそらく幼少時に体験している結果として、パーソナリティの変化にも影響が及んでいる。その意味で彼女たちは犠牲者であり、ハーマンさんはBPDの患者さんはシャルコー時代のヒステリーの患者さんのようなものだ、と論じた。

この議論に従うと、BPDの人たちは外傷を繰り返して受け、病を「こじらせ」てしまったという状態だから、症状としても込み入ったPTSDの形を取り、それがCPTSDDESNOSである。そしてそれらを事実上BPDと同一視しようという考えを彼らは取ったのだ。そしてこの考えは一部のフェミニストたちやトラウマ論者たちから賛同を得たものの、米国の精神医学界から受け入れられず、さりとて無視するわけにもいかず、という状態が続いていた。しかしそれをのものを採用することはなく、しかし中途半端な形でPTSDの診断基準のすそ野を広げ、解離タイプを付け加えて乗り切ろうとしたのがDSM-52013)のPTSDだった。つまりそこには何もあたらしい疾患概念は付け加えられなかったのだ。

他方ではCPTSDを作ってしまったのがICD-11 。このCPTSDPTSD+DSO(自己組織化の障害)という形を取る。ということはPTSDだけの人もいるだろうし、DSOだけの人もいるだろう。そこで早合点する人は、「そうか、BPDとはDSOと考えればいいんだ。」ところがふと気が付く。DSOのみ、という診断はどこにも出てこない。では「BPDって、結局はDSOのことね?」と考える人もいるだろう。そのようにも言えるし、そうではないとも言える。ここら辺から識者たちの意見が分かれてくる。

大半の臨床家の意見はこんな感じだろう(ただし日本の臨床家に限らず、むしろ欧米の人たちを考えた場合)。「DSOの人は感情の調整がうまくいかず、自己評価が低く、人とうまくやっていけない(例のDSOAD+NSC+DRという公式を思い出そう) ということだが、何となく静かな印象を受ける。他方ではBPDの人たちはもっと激しいよね。他者の脱価値化と理想化、衝動性、激しい怒り、などなど。だからDSOBPDというのは違うんじゃないか。」

こんな人もいるだろう。「BPDの人の中にはCPTSDの基準を満たす人もいるだろうけど、それプラスアルファの激しさを特徴とするだろう。」「いやいやそもそもトラウマに関係していないBPDの人もいるよね。それらの人はどう考えるの?」

私の目からは、実はこれらはみな正しいのだ。結局何が言えるかと言えば、BPDはトラウマを経験した人が多いが、それだけではない、おそらく生物学的、ないしは生まれつきの激しさを持っているだろう。やはりCPTSDBPDと同一視は出来ない。ちなみにこのような見方を支えるのが、最近得られた次のような所見である(エッセイなので出典は省略)。

    一卵性双生児のBPDの一致率はなんと42%とかなり高い。

    BPDのひとをMRIで調べると両側の偏桃体と前頭葉の一部に高い活動が見られる。

   多くの幼少時の外傷の被害者は精神科疾患に発展しない。

   幼少時の外傷により生じる精神障害はあらゆるもの(愛着障害、解離、感情障害、行動障害、その他その他)に発展する可能性がある。

結局は精神疾患はCPTSDBPDも含めて、気質とトラウマと遺伝負因が複雑に絡み合っている。ということであの私の苦手なディメンショナルモデルに戻れ、ということだろうか。次の4つのディメンションを考えられるだろうか。

● フラッシュバック等のPTSD症状の強さ

● 解離症状の程度

●  感情の激しさの程度

● いわゆるハイパーボリック気質(どれだけBPDっぽいか)の強さ

4つのディメンションである。