2020年12月9日水曜日

死生論 7

 

ということでFreuds Requiem (以下、FR)という本をしばらく読んでみる。著者はこの儚さの問題がフロイトによりその後何度も扱われているとする。それはもちろん喪についてのフロイトの考察のことである。彼が喪について論じ始めたのは、この「儚さ」のエッセイからだ、ということだ。とすれば俄然このエッセイは意味を持ってくる。

著者Unwerth はこんなことを言っている。

「『儚さについて』は、その作者フロイトの世界を縮小したポートレートであり、彼の人生や業績を形作った同じテーマが豊かに凝集したものなのだ。On Transience is a portrait in miniature of the world of its writer, rich and teeming with the same themes that shaped his life and his work.

それだけ意義深いエッセイ、というわけか。これが書かれた1915年と言えば、フロイトが自分で予言していた死を迎える年齢である61歳に近づいていたことになる。第一次世界大戦により、彼が慣れ親しんだ世界は消えてなくなろうとしていた。そんな時に「ゲーテの地」という本が刊行されることになり、ドイツの有名な知識人たちが寄稿をすることになった。そしてフロイトが書いたのがこのエッセイである。そしてその時代背景に関連して、このエッセイには戦争の影が非常に色濃い。そしてここに書かれたテーマは実はフロイトがその時代に多くの人に話していたものだという。「死ぬという運命にある私たちの生にどれほどの価値があるのだろうか。」というものだ。

FRの第一章はリルケとザロメの個人史やその関係性についての解説なので飛ばすが、第二章では、いよいよ本格的な考察が始まる。このころフロイトの中では、リビドー論から対象関係論への変化が起きていたという。リビドーは結局だれか、外の対象を求める。「リビドーは対象希求的である」という提言のは、フェアバーンが言うまでもなく、フロイトが考えていたことだったのだ。

さてフロイトはリビドーが関係する対象として二種類を考えた。それは親のような存在に対して持つような「依託的anaclitic なものか、それとも自分自身のような存在に対するものとしての自己愛的narcissisticなものかに分かれると主張した。ただし両者は純粋な形で存在するわけではなく、常に入り混じって存在する。つまり後の愛の対象は、親に似ている要素と自分に似ている要素を両方持つというのだ。ちなみにこのフロイトの述べた二種類の対象というのは私が40年前に精神分析を学び始めてからずっとよく分からずにいたことだ。今でもよくわからない。でもとにかくこの自己愛の議論はフロイトを大きく変えたとされる。それまでは愛は快を与えてくれる母や、それと類似した父親に向けられるものとされたが、自己愛の概念により、フロイトはそれ以前の自足的な快、彼が自己愛的な状態と呼んだものの存在を考えるようになった。そしてこれは私はあまり頭になかったことだが、「儚さ」論文と「悲哀とメランコリー」は連続的だという。正常な喪では、リビドーは対象から徐々に自己に戻り、対象も自己の一部になる。取り戻されたリビドーはまた別の他者を愛する力となるのだ。有名な彼の表現{the shadow of the object falls across the ego and obscures it}もこのことを言っているという。ところがこのプロセスがうまくいかないと、対象は依然として外界に存在しているという幻覚的な体験を生む。これが精神病であり、リルケに「君は喪に対する反逆を起こしているよ」とたしなめた時、フロイトはそれを意味していたのだというのだ。ここら辺はFRを読みながらまとめているのだが、このフロイトの議論はわかったようなわからないような感じだ。