ここで想像するという事に結びつけて考えるならば、私たちに出来るのは、過去の幸せな体験を回想して楽しむことではなく、未来において失うことを生々しく想像することだということだ。過去の幸せを思い出しても、それらの体験はその人の人となりを形成する上での基盤にはなっているであろうが、その幸せは生々しく体験はされない。これは皆さんが各自実行してみればすぐわかることだ。ただし過去の記憶が時には極めてありありと想起されることがあり、それは例えばフラッシュバックにおいてである。しかし幸せな体験のフラッシュバックは起きない。過去は今の私たちを喜びで満たすことは出来ないのだ。
しかし私たちは通常は、過去のことよりは将来のことをより鮮明に思うことができるのではないか。私たちは将来失うことなら、自分の想像力をたくましくすることにより、かなりの程度に想像することができる。フロイトはそれを喪の先取りforetaste of mourning (ドイツ語ではVorgeschmack
der Trauer と言うそうだ)、と言ったのだ。Unwerth のFRに関する書評には、「儚さとは物事についての喪失を、それが起きる前に体験することだ」とまとめている(Paul Sutton,2006)。人生でいかに喪の仕事をするかは極めて大事であり、しかもそれを先取りして行うことが大事なのだ。フロイトもザロメに対する書簡の中で言っている。「あきらめることが出来たら、人はどんなに幸せだろうか。」