2020年11月9日月曜日

揺らぎのエッセイ 2

 人はこのように自然界の揺らぎの持つ不確定さを回避するために規則を設けるという話をしている。人が法律やスケジュールを作り、あるいは思考を組織立てるための言語を獲得することにもそのような意味があったのだろう。例えば言葉を持ち始める寸前の人間が、二人で毎朝決まって狩りをしていたとしよう。それは何となく始まり、言葉による約束がないもののルーチンのようになったのだ。彼らの生活もそれに従ってオーガナイズされるだろう。ところがある日一人に狩りに行けない事情が生じたとしたら、それを相手に伝える必要が生じる。言葉の原型がそこで生まれる。「イケナイ」と伝えるわけだ。しかし当日ではやはりこれは事実上の揺らぎ急なので、その予定が前日からわかっていたとなると「アスハイケナイ」となる。これにより相手にとっての急な予定の変更という揺らぎを解消するための言葉は、より詳細になっていく必要がある。

言葉や規則や、説明のための理論はこうして、私たちを予測不可能な揺らぎから少しでも守るために作られるのだ。

この「思考が言葉により組織立てられる」、とはどのような事だろうか。精神分析家 Phillip Bromberg Donnel Stern が主張していること、すなわち「解離されているものは、未構成の思考である」、という提言はこれと関係がある。フロイトのモデルだと、無意識的な思考という事が可能だった。しかし彼らによると無意識にあるのは一つの可能性であり、言葉により初めて構成されるのだ、と考える。つまり言葉になる前はそこには明らかなものは何もなかったという事になる。

一つの例を挙げる。貴方が誰か(Aさん)に憎しみを向けているとする。(別に愛情でもいいが。)あなたはAさんのことをよく知っていて、仲の良い友達くらいに思っている。しかしの人と話をするたびにある種の重苦しさを感じているが、その理由がわからなかった。そのことを友人に何げなく話すと、「あなたはAさんと一緒に過ごすことが多いようですが、彼のことをあまり好きではないかと想像していましたよ。」と言われる。「そんな風に思ったことはありませんよ。どうしてそう思うんですか?」というとその友人は「あなたがAさんと話している時は楽しそうに見えないからです。」という。その時は変なことを言われた気がしていたが、後にそのことを思い出すうちに「ひょっとして自分はAさんのことが嫌いなんだ」と思うようになる。貴方は「どうしてそのことに気が付かなかったんだろう?」と思う。ここで一つの問題が生じる。貴方はそれを指摘される以前からAさんのことが嫌いだったのだろうか?フロイトならもちろんこういうはずだ。「Aさんのことが嫌いだ」は抑圧されていたのだ、と。

恐らくそれでもいいのだろうが、現代の分析家はそこのところをもう少し厳密に考えるだろう。「本当にそうだろうか?」確かに生理的な反応は嫌いな人に会った時のそれに近かった。でもあなたは「Aさんのことが嫌いなんですね」と言われたら「とんでもない」と答えていたはずだ。「そんなこと心にも思っていません。」と思ったはずである。「Aさんが嫌いだ」はその言葉として意識されたときに、初めて構成された(形を成した)というのが Stern の立場である。その前に無意識にあったのは何だろうか? モヤモヤした、非定型の何か、体の反応としてしか表現されなかったもの、というのが現代的な考え方だ。この話がどうして揺らぎと関係するのか。それは「Aさんが嫌い」は実は現実からずれているからである。Aさんに対する気持ちはさまざまなものを含み、ひとことで言い表せない。揺らいでいるものだ。言葉にするという事はそれに強制的な形を与えるという意味を持つのである。現実はすでにそのものの形を失ったことになる。