2020年11月17日火曜日

揺らぎのエッセイ 8

 さて心を生み出すのは神経系だが、それについて考える。それには一応生命体が形成されたそのうえで、という前提がある。細胞の中でも電気信号を伝達する性質を持つ特殊な細胞が神経細胞として分化する。そしてそれがいくつか組み合わさってネットワークを形成していく。最初は数個の神経細胞からなるネットワークで、ごく基本的な情報を貯めることが出来る。そのうち数百個の神経細胞からなるC・エレガンス(線虫の一種、以下「Cエレ君」)のようなレベルになる。すでに不快を回避し、特殊な臭いには向かっていくという能力を有している。それを極めて基本的な「心」とするならば、人間の大脳皮質のように数千億の細胞を有するネットワークも、その中間ぐらいに位置するネズミの脳も、昆虫の脳も、そしてCエレ君のような小さなネットワークも、フラクタル的な関係と言えるのだ。

ただし人間の心について考えているので、そのフラクタル性について検討しよう。人の心をモジュール的なものと理解して、各モジュールとして取り出していく。個々の部分はもちろん詳しく分かっていない部分であるが、例えばこんな思考実験をしよう。貴方に「今日は何日ですか? 元号で答えてください。」と尋ねる。一種の認知機能の検査だと考えて欲しい。貴方は「令和21110日」です、と答えるだろう。そこから貴方の心は組織立っていると判断することができるのだ。そしてその心はある種の階層構造から成り立っていて、つまりはモジュール的にうまく働いていると考えることができる。もちろん言葉を理解する、そして自分のタスクを理解する、そのための文章を構成するという能力を通じて、聴覚野、前頭葉、言語野などがきちんと働いていることが分かる。

 また今は何時代なのだろう、と考えるときに、大正―昭和-平成-令和という時代の移り変わりを思い浮かべて、その中から最優先の選択肢として令和が浮かび、何月、となると1月、2月・・・・という選択肢の間の競争が行われる。このように思考とはある種の階層構造におけるダーウィン的な競争の終結という事になる。