2020年11月16日月曜日

揺らぎのエッセイ 7

  ではこの問題がどうして面白いかというと、偶発的な言い間違いは、セレンディピティと結びつき、創造に広がるからだ。だからいい加減さは大切である。スロッピーなところから新しいものが生まれるのだ。

フラクタル的という事を考えるために、ボトムアップ的な世界の性質について考えよう。フラクタルとは細かくして行っても同じ複雑な構造という事だが、実は最初にある極めて基本的な構造があり、成長して作られていくものだ。ボトムアップ的なものなのである。生命体という構造を考えればそうだ。生命体を細かくしていくと最後は分子、ないしはそれ以下の素粒子という事になるのだが、さすがに水分子を生命体と考えることはできない。分子の集合体から始まって複雑になっていき、どこかで生命と言えるような存在になる。おそらくそこになるまでに、物体と生命体の中間にあたるような、例えばむき出しのRNA

という状態があるかもしれない。しかしどこかの時点で生命体が始まる。そこからは生命体がより複雑に進化するにつれてフラクタル構造が情報に向かって形成されていく。そこで生じているのは、結局ダーウィン的なプロセスだ。いくつかの分子の連なりの中から、たまたま自己組織化の性質を持ったものが複製されていく。そのプロセスは、スチュワート・カウフマンというすごい学者が本にしている。