2020年9月19日土曜日

ERの続き、解離における他者性とは何か? 5

 ERの続き。

 ええっとどこまでだっけ。ERでの一番ネガティブな体験はそこまでであった。頭の中は外来のことばかり。幸い家人に、私の診療所のパートナーであるN山先生に連絡を取ってもらい、応援に来ていただけることになり、本当に一息つくことが出来た。しかしその間も痛みは治まらない。激痛、というわけでもないが、他のことがあまり考えられない状態。尿管結石の経験者である家人はそれがいかに激痛だったかを強調するので、これとも違うとすると、ただ事じゃないかも知れないな、などといろいろ考えているうちに、医師が登場。小柄な女医さん。いたって普通で気さくな応対。こちらは「尿管結石かと思う」と伝え、医学用語も出てくるので精神科医であることを明かすと、少し話が早くなる。彼女も症状の経緯から言って、そのような見立てらしい。背中を打診してもらうと、腰の下の方を叩かれたときに痛みを持って響く。「とにかくエコーかなんかで診ていただければ、と・・・・・」というと女医さんは「いや、もうCTにしましょう」。そうか、最近はもうルーチンでCTなのだ。エコーより解像度もいいし。という事で階下のCT室まで。終わってベッドに横にならせていただく。あとは結果待ち。ちょっとまどろんだのだろうか。女医さんが「ありましたよ。石が映ってました!」と教えてくれる。「あ、ありがとうございました。ところでこの痛みを何とかしてくれませんか・・・・」「わかりました」という事でボルタレン座薬50㎎。お尻に入れてちょっとまどろむ。30分くらい経ったろうか。痛みはすっかり消えていた。(以後続く。)


解離における他者性とは何か 5

私の理解では、別人格はしばしば他者として突然に出現する。そして表れたときはすでに完成形に近い。ある患者さん(30代女性、男性の性自認)は、別人格Bが最初に現れたときについて次のように回想する。「ある日彼女はピンクのランドセルを背負って、転校生として現れました。それがBだったんです。」ある別の患者さんの交代人格は、覚えている最初の体験について語った。「最初に体験したことははっきり覚えています。中学校の屋上にいて、街全体を見渡していました。」このような人格の出現を、フロイトだったらどのように説明しただろうか。

 ここで自我障害について考えてみよう。これについては精神科医になりたての頃、先輩から講義を受けたヤスパースの自我障害の4つの障害というのがある。これはもっぱら統合失調症において損なわれているものとして4つを挙げている。
「能動性の意識」 自分自身が何か行っていると感じられる
「単一性の意識」 自分が単独の存在であると感じられる
「同一性の意識」 時を経ても自分は変わらないと感じられる
「限界性の意識」 自分は他者や外界と区別されていると感じられる

これらは解離性障害において、具体的にどのように損なわれているだろうか。すでに出した車を運転していたAさんと別人格Bさんを別人格についてはどうであろうか?Aさんは自分がハンドルを握り、自分が自分のタイミングで車を出そうとしているという能動感を持つ。だからBさんの声に意外な思いがしたのだ。AさんはBさんとは異なることを自覚している。(「Bはなんて自分と違ってイライラしているのだ、と驚いた、など。)だからそれぞれが能動的で単一の存在と信じているのだ。また同一性についてはどうか。AさんとBさんは時間が過ぎても自分を自分と感じるだろうか。おそらく。昨日はBさんで活動していたとしても、Aさんは「昨日は奥で休んでいた」という主観的なアリバイを持っているのが普通である。もちろんAさんとBさんが「入り混じる」こともあるだろう。しかしそれはAさんとBさんは通常はしっかり分かれているからこそ、曖昧なときには「混乱」させられることもある。(二色のソフトクリームのような感覚を味わう)。