2020年9月22日火曜日

解離における他者性とは何か? 8

  


 この図が私が示したい最後の図であるが、DIDにおいてDCがどのようにかかわっているかを示したものである。左側は「健常」人ということであるが、この「健常」に付けられた鍵括弧にご注意ください。というのもDIDの状態が健常でない、という保証はなく、ひょっとしたら私たちはDCを複数持っているかもしれないのです。そして右側はDCが複数存在するという、エデルマン自身が予言した事態だ。ここでいくつかのDCを重ねて描いたが、それぞれが上で示したような視床と皮質の間の頻繁なネットワークの行き来と、大脳基底核との関連を有しているのですから、重ねて描くことになる。ただ具体的にどのように重なっているかは誰にもわからない。それらはひょっとしたら本当に解剖学的にずれているのかもしれない。しかし一番考えられるのは、同じ解剖学的なエリアの中に、それぞれ異なったネットワークとして成立しているという可能性もある。あるいは一つの脳波がフーリエ展開するのかもしれない。いずれにせよそれぞれ異なるネットワークからなるDCがそこに存在していると考えることができるのだ。

さてこのように考えて行くと、交代人格のそれぞれがそれぞれ別のDCを備え、したがって互いに他者であるということに異論はないであろう。このような交代人格の個別性は私がいくら強調しても、し過ぎることはない。彼らは異なる味覚を持ち、異なる美的感覚を持ち、異なる性別を有するということが何よりもそれを示している。