2020年9月17日木曜日

解離における他者性とはなにか? 3

 フロイトとジャネはシャルコーから解離のイニシエーションを受けた

 そもそもフロイトとジャネの行き違いはどのように生じたのであろうか。二人は同時の心理学の代表的な人物であり、同じようにヒステリーと当時呼ばれていた解離性障害の患者さんたちに接していた。フロイトとジャネは、別人格の成立に関して、全く異なる理論を持っていた。
  このうちジャネは「他者性」を全面的に認める立場の理論を展開していた。フロイトは別人格の「他者性」を認めないという素地を作り、それは精神分析を超えて一般に広まった。だから前盛期はずっと精神分析の影響下では、複数の人格の存在は認められなかったのである。
 事の始まりはフロイトがブロイアーと書いた「ヒステリー研究」であった。1889までにフロイトは催眠による暗示から、カタルシス療法にシフトし、仕事は軌道に乗り、一連の患者の治療を通じて自らのスタイルを確立していった。フロイトはワーカホリックなところがあったから、1892年にブロイアーに共同の執筆を迫り、共著論文「ヒステリー諸現象の心的機制について暫定報告」 を書いた(1893年)。それをもとに1895年「ヒステリー研究」を発刊することになる。これは第1章が「暫定報告」の採録、第2 アンナOの治療、第3 フロイトの4ケース、第4 ブロイアーの理論、第5 フロイトの理論、という構成だった。しかしこの本の中でフロイトはブロイアーと異なる意見をさっさと提出している。何しろベルネームに行ってから、フロイトは吹っ切れた。1992年はちょうどルーシーの治療に手ごたえを感じていたころだろう。一方ブロイアーは、10年目に治療を終えていたアンナOについて書くことになる。アンナO.の治療がとても成功したとは言えないと考えていたブロイアーにとっては、このような本にまとめるのは不本意だったのである。
  フロイトとブロイアーは、ヒステリーの理解について異なった考えを持っていたが、それを簡潔に言えばこうなる。

p  ブロイアー:トラウマ時に意識のスプリッティングが生じる。

p  フロイト : 私は実は類催眠状態に出会ったことがない。(結局は防衛が起きているのだ。)

  もう少し詳しく見ると、ジャネは解離の「第二法則」という提言を行っている。「(解離が生じる際にも)主たるパーソナリティの単一性は変わらない。そこから何もちぎれていかないし、分割もされない。解離の体験は常に、それが生じた瞬間から、第二のシステムに属する。(Revue Philosophique, 23, 449-472)

ジャネは意識のスプリッティング(解離)を意識の増殖 multiplication としてとらえていた。他方のフロイトは意識のスプリッティング(解離)を、せいぜい意識の分岐 division としてとらえていた。
 
さてジャネ派の理論のその後を追うならば、DIDにおける「共意識 co-consciousness」が「共活動 co-active する」という考えはボストンの学者(William James, Boris Sidis, Morton Prince, William McDougall に受け継がれ、その後廃れた。(その末裔がJohn Nemiah, 1979). M. Prince は「同時遂行」の実験をいくつか行った
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 さてそれから精神分析では解離が原則として論じられなかったが、まったくこの概念が用いられなかったというわけでもない。フェアバーンもウィ二コットも時代が下ればサリバンも解離という言葉を使っている。しかしそれらの臨床家が受け入れたのは、解離が防衛的な形で用いられたという事である。自身は解離について語らなかったにもかかわらず、フロイト以外の人の使い方はフロイト的(つまり力動的)なのであった。つまり解離は防衛として生じ、それは抑圧との類似性を持ち、解離された部分どうしはある種の機能的、力動的な連関を持っているとみなされる。それをもう少し推し進めると、臨床的には、ある人格は、別人格の心と連動し、その意味で本当の意味での「他者性」はないと考えられる傾向にある。