2020年7月23日木曜日

解離的な転回 dissociative turn


「解離的な転回」に含まれる二段階
 Sheldon Iszkowitz という分析家、はいわゆる解離的な転回 dissociative turnが精神分析において生じているという。
Itzkowitz, S (2015) the Dissociative Turn in Psychoanalysis. Am J Psychoanal. 75(2):145-153.

彼は最近の精神分析において、「解離の過程、すなわち複数の不連続的な意識の中心により特徴づけられる解離的な構造に対する注目が集まり、それらの断片化されている患者(強調は引用者)の精神分析的な仕事の治療の目標は解離した自己状態の間の交流と理解を成立させることだ」とし、そのようなパラダイムの変化を解離的な転回とする。
   The actuality of trauma during infancy and early childhood is recognized as a key factor leading to the emergence of dissociative processes, the potential dissociative structuring of the mind, and mind being characterized by multiple, discontinuous, centers of consciousness. The therapeutic goal in the psychoanalytic work with fragmented patients is to establish communication and understanding between the dissociated self-states. The author offers two brief clinical examples of working with dissociated self-states.(P145.

この提案は頼もしく、しかし同時に物足りないものとなっている。それはこの短い文にすでにあるドグマが見られるからだ。それはそれらの「断片化された患者」(強調部分)という表現である。複数の人格の存在と、人格(自己?)の断片化が等価に置かれるとき、一つの心が分割でき、複数の意識を生み出すという考えを暗黙の裡に認めていることになる。しかし実は一つの心がわかれることはない。主体の体験は常に単一であり、したがって人individual の心は基本的には単体であり、indivisible である。意識は単一性を一つの特徴とする。それ自身は分けることができず、「断片化された意識fragmented consciousness」は形容矛盾となる。断片化された意識はなく、あるのは複数の意識、ということになる。確かに解離においては複数の心に分かれた存在がありうる。それはいわゆる解離dissociation と言えるが、複数の意識の存在による解離の場合はそれとは異なるDissociation と呼んで区別する必要がある。その意味で解離的な転回は実は2段階あることを提唱しなくてはならない。第一段階はここでSheldon Itzkowitz が述べるそれであり、もう一つは複数の意識の共存を考慮に入れた治療論の必要性を理解するということになる。しかしそれにしてもどうしてこれほど自明なことを人は勘違いし続けるのだろうか。その一つの原因は、内在化internalization の概念であると考えられる。ある心が入り込む、と考える場合、それは心の内部にもう一つを宿す、ということを意味し、もう一つの心の追加、新たな生成というニュアンスから離れるのである。