2020年7月27日月曜日

ミラーニューロンと解離 2


もし脳内にAさんとBさんが異なる脳内の基盤を持っていることが理論的に説明できるのであればこれらの懸念はなくなるであろう。極端な話だが、人格Aの活動中に右脳のみが興奮し、Bさんの場合は左脳のみが興奮したとしたら、それを示すことでAさんとBさんは違う意識、人格という点を強調できるかもしれない。(残念ながらそれは実際には起きないが、分離脳 split brain の実験を考えた場合は、事実上そのようなことが起きているのである。)
私はこの問題について以前の論考でいわゆるダイナミックコアの理論を援用した人格の形成プロセスについての仮説を唱えた。(Problem of ‘‘otherness’’ in dissociative disorder European Journal of Trauma and Dissociation, 2019. )そこでの論述を要約するならば、解離性障害においては「他者性」が非常に大きな意味を持ち、交代人格の在り方を理解するうえでも、どれだけこの他者性を有しているかを理解することがカギである。ところが交代人格を完全なる他者ととらえる臨床家は少ない。精神分析の伝統では、あくまでも心は一つという方針が変わることはない。しかしそれは解離を扱う臨床家にとってもあまり変わりない。その原因としては、おそらく解離についての論者の多くが、交代人格の存在を精神の分割 division の結果としてとらえ、増殖 multiplication の結果としては論じないという傾向にあるとした。そもそも20世紀の初頭に意識のスプリッティングが盛んに論じられたとき、そこで問題になっていたのは本来一つの心が分割されるという意味であった。しかしジャネをはじめとする何人かの論者は、むしろ意識が一つから二つ、三つと増殖していくことが解離の本質と考えた。そしてこの分割化、増殖か、という点をあいまいにすることが、解離における他者性を論じるうえでの混乱を招いていたのではないか、というのがそこでの主張だった。