2020年7月28日火曜日

ミラーニューロンと解離 3


私はこの論文でいわゆるジャネの第二の法則について論じた。Janet の理論は二つの間を揺れ動いたようであるが、結局はdivision よりはmultiplication の方を選択したようである。彼は「解離においては、何一つとして主たる人格からちぎれ落ちることはない!nothing breaks off」と頼もしい言葉を残している。
私はエデルマンやトノーニの論述を援用して、心ないしは意識の脳科学的な対応物として、ダイナミックコアモデル、ないしは「視床―皮質モデル」である。この概念の特徴は、意識を情報をつかさどるニューラル・ネットワークと同義のものとして扱っているということである。そして視床と皮質の間に極めて緻密で両方向性の情報のやり取りを想定しているということである。そして彼らのモデルが、意識をunitary and integrated ととらえているということである。またこのダイナミックコアは、視床や皮質の解剖学的な対象性を考えた場合、私たちの心に一対(二つ)存在すると考えることができる。

このモデルを理論的に支えるのが分離脳の研究であり、この所見が示すのは、左右のペアのダイナミックコアを分離しても、意識が存在しうるということである。(右脳が勝手に行動し、左脳はそれを理屈づけるというパターン。)しかも両者の考えは葛藤というよりは解離しているという印象を抱く。ともかくも心は機能するためには両側を必ずしも必要としないこと、そして左脳、右脳はあたかも別の心のような反応を見せるということが示唆するものは強烈である。しかも左右脳が別々の感情表現をするならば、それが偏桃体を含む大脳辺縁系を「別々に使っている」ということすら意味しているといえるだろう。

そこで私が仮説的に取り上げたのは、ダイナミックコアが重なり合うという図式である。それぞれの人格部分が異なるダイナミックコアを有する。これがどのように行われるのかはわからない。いくつかのネットワークのパターンを用いているのか、それとも異なる周波数を用いているのか、左右に分かれているのか、それとも人格部分ごとに、使用する皮質や視床の部分が局所的に分かれているのか、ということである。