解離性同一性障害における交代人格の成立プロセスについて、ミラーニューロンシステムとの関係から仮説をもうけることが果たしてできるだろうか。
解離性同一性障害は、症状のcounter-intuitiveな性質もあり、一人の人間が複数の心を持つという現象が一般人はおろか、一部の臨床家の理解を得られていないという事情がある。そしてDIDの脳科学的な基盤がほとんど解明されていないという事情は、その傾向を後押ししているという印象がある。
DIDにおける異なる人格の個別性が十分に理解されないことで生じる問題は、個々の人格の存在がそれとしてリスペクトされないという事である。そして彼らはあたかも一つの人格の別部分として、つまり個別性を尊重されずに扱われてしまう傾向にある。
· しかし考えてもみよう。それぞれの人格が自我を有していたとする。具体的にはヤスパースのいう自我を構成する4条件、すなわち
· 【能動性】 自分の思考や行動が自分から発せられている(空間的には自分という意識の中に他者なるものは存在しない)
· 【単一性】 自分が単一であって二つでない(自分の限界を越えて外界や他者の中に自分は存在しない)
· 【同一性】 時間的にも同一である(時間的にも連続性を保持している)
· 【限界性】 自分が他人や外界と区別される(頭に浮かぶ考えや行動を自らが主体的に行っているという意識がある)
がすべて揃っていたとする。それはもう立派な自我であり、主体なのだ。実は前報告ではそのことを示したわけだが、個別の自我が、例えばこのように言われたらどうだろうか? 「あなた(Bさん)は結局Aさんの心の一部です。やがてはあなたはAさんと統合されなくてはなりません。なぜならあなたはAさんから分かれてできたのですから。」
これはBさんの人権を軽んじていることにはならないか? しかし解離性障害の臨床ではザラの話だ。さらに言えば、「貴方は自分がBさんだと思い込んでいるだけです。」という事を医療側から言われたりすることさえある。この場合Bさんの人権はほとんど抹殺されたといっていい。