解離性障害における別人格の成立の背後にはミラーニューロンの失調が関係しているのではないかという仮説を提示するのが、本章の目的である。しかしその前に、まずはミラーニューロンの働きに関する基本的な理解と前提から始めよう。AさんがBさんに微笑みかけたとする。ここでAさんの微笑みかける体験と、Bさんの微笑みかけられる体験は本来別々のものだ。それを見ている第三者は、それらが別々の体験であり、それを疑似体験するときにもAさんとBさんのどちらに注意を向けるかにより、一度にそのどちらかしか体験されないであろう。そしてそこにかかわるミラーニューロンは基本的には別個なもののはずだ。
もちろん話はこれで終わらない。おそらく観察者Aさんに微笑みかけられたBさんはAさんに微笑み返すであろう。すると第三者はある行動の受動態と能動態とが連続して一つの流れを構成しているのを見ることになるが、そのままではやはり二つの異なる行動の連続でしかないはずだ。
しかしこれを実際に体験しているBさんの心の中では、微笑みかけられるという体験と微笑みかけるという体験の二つは緊密に結びついていることになろう。そもそもこれらの行動が連続して生じるのは偶然の産物ではない。微笑みかけられた人は、必ずと言っていいほど微笑み返すのだ。人と人との会話を観察していると、この現象が実に顕著にみられることが分かるだろう。微笑みかけは、ほぼ自動的に微笑み返しにつながる。相手の行為をまねすることが、相手に対する能動的な働きかけになるとは、実にうまくできていることになる。
ここでもう少しわかりやすく、Aさん=母親、Bさん=幼児、としよう。幼児の中で母親に微笑みかけられるという体験は、ミラーニューロンを介して微笑み返すという行動を導くようになるであろう。しかしそれに先立ち、母親から微笑みかけられたときに同時に優しいトーンの声、撫でられるという感覚、温かさがセットになっているだろう。微笑みかけられるという受動態の体験はそれらの快感を伴い、模倣することは、微笑み返すという能動的な体験とともに態と一致し、そこに必然的に心地よさや安心感を伴うことで促進される、というのが、母子のコミュニケーションの出発点であろう。そしてここでは、微笑む、微笑みかけられる、という二つの行為のミラーニューロンシステムは同時に賦活化されているはずだ。あるいは二つが交互に活性化されるという形をとるのかもしれない。このようにしてやり取り一般は一つの行動の受動態と能動態のミラーニューロンシステムが同時に、ないしは交互に賦活すされるという形態をとるのであろう。
次に幼児が母親から激しく叩かれるという状況を考えてみよう。この場合は、微笑みかけられる場合と異なり、幼児はある種のトラウマ的な体験を持つことになる。そしてその際には前部帯状回が情動に関与する部位、すなわち扁桃核を含む大脳辺縁系を抑制するという可能性を最近の研究が示唆している。そして幼児の心はあたかも麻酔をかけられた状態(つまり解離状態)となり、そこでは通常はミラーニューロンを介した母親の行動の模倣を通じての応答は成立しなくなるであろう。
その結果として生じる可能性があるのは、いわゆる体外離脱体験である。すなわち叩かれて感じるはずの痛みや触覚的な入力が得られないことで、幼児は自分自身を叩かれるという受動態での体験者と見なすことが出来ない。そこで外部に急ごしらえで設けられた新たな主体(別人格)の位置から叩かれる自分を観察するという事態が生じる可能性がある。
更にもう一段階深刻な体験として起こり得るのは、叩くという能動態のミラーニューロンシステムのみが作動するという場合である。叩かれるという受動的な体験を持っているにもかかわらず、自分は何も感じないという体験が、叩いているのは自分だという体験へとすり替わる。つまり攻撃者への同一化が生じるのだ。
そこでまとめると次のようになる。
● 叩かれるという体験のMNの賦活-(マイナス)受動体験の身体感覚 = 体外離脱体験
● 叩かれるという体験-(マイナス)受動体験の身体感覚 + 叩くという体験に関するMNの賦活 = 攻撃者への同一化