2020年5月27日水曜日

ミラーニューロンの不思議 最終回

ミラーニューロンについての話をもう延々とやっているので、このテーマを締めくくらなくてはならない。ミラーニューロンの存在は結局何を教えてくれたのだろうか? それはある他者の行動を見たときに、それを自分が行う準備性を備えてくれるシステムである。そしてそれにより、他者の行動の意図を教えてくれるシステムである。そしてその成立のプロセスを通して、自他の区別、空想と現実の区別は自然と身につく。これはあまりに広義の「学習」ということが出来るだろうか。ある他者が微笑みかけてくる、という体験は、自分で微笑み返すというシミュレーションを通して、その時の優しい気持ちを感じ取ることが出来る。もし顔がボトックス注射などで表情を作れないと、微笑みが理解できなくなってしまう。あるいは微笑みかけてくる人が同時に自分にビンタをくらわしたなら、その体験をどのように処理していいかわからなくなる。もう専門用語として「ミラーニューロンシステム」というのがあるが、それが恒常的に成立しないのであれば、解離とは一時的にこれが失調することで誤った取入れがなされるという理解が出来ないだろうか。 
ではミラーニューロンシステムの不成立としてどのような状況が考えられるだろうか。受動的体験の際、あまりに相手の感情が伝わってきて、それが能動態として入ってしまうということだろうか。叩かれているのに、叩く能動的体験のミラーシステムが形成された場合、などである。つまり論旨としては、ダイナミックな理論としての防衛的な黒幕の成立(Howellなど)⇔ 外傷的な、非機能的dysfunctional な黒幕の成立という考え方である。これを明白にしない限り、問題は解決しないであろう。
精神分析の理論の中では、取入れはなぜか力動的で、起きるべくして起きるというニュアンスがある。しかしそれがそもそもの間違いであったのではないか。ということでわけがわからなくなってきたが、ミラーニューロンの話は続くが、ここで一区切りにしよう。