2020年5月13日水曜日

ミラーニューロンの不思議 1


ミラーニューロンは画期的か。おそらく。でも今一つよくわからない。そこでこんな思考実感をする。
Aさんの目の前に一つの卵がある。Aさんはそれをどうしたいだろうか。それを眺めたいか、手に取ってみたいか、足で蹴飛ばしたいか。割って卵かけご飯にしたいだろうか。それとも何もしたくないか・・・。
他者の意図の問題は純粋に内的な問題であり、従来はそれを科学では知る由もないと考えられていた。でも今ある手段があり、科学的にAさんが卵をどうしたいかという意図を知ることが出来たら? そう、それを可能にしたのがミラーニューロンの発見である。
まずAさんに承諾を得なくてはならない。彼の頭蓋骨に穴をあけ、前頭葉の運動前野というところに針を刺させてもらう。この時点でAさんは承諾を激しく拒否するだろう。仕方がないのでAさんはアカゲザルだったということにしよう。そしてAさんに眺める、手に取る、蹴飛ばす、卵かけご飯にして食べる、という一連の動作をしてもらい、運動前野でそれぞれの行動に特化したニューロン(神経細胞)を特定する。ちなみに運動前野は、運動のプログラミングをするところだ。例えばつかむ、などの運動は一連の筋肉の緊張と弛緩の連続である。それを筋肉に信号を送り出す運動野の横の部分にあるこの運動前野でプログラムするのだ。
このような下準備をしておいて、アカゲのAさんに卵の前に座ってもらう。そして前頭前野のどのニューロンが反応するかを見る。するとAさんがその卵を蹴り飛ばしたいとうずうずしていることが分かる。それは実際に蹴ってもらったときに反応したニューロンがもう発火しているからだ。というよりはAさんはサルなので、実験であるという事情も分からずに、実際にその卵を蹴っ飛ばしてしまうだろうから、別に頭に穴を開けなくてもその意図はわかったわけだが・・・・。
もちろんこのままでは大して面白くもないのだが、ミラーニューロンの研究が大切なのは、Aさんの目の前にBさんがいて、その前に卵が置かれたときのAさんの反応が興味深いからだ。Aさんの前に卵はない。彼は卵を前にしたBさんを見ているのだ。もちろん卵を蹴りたいAさんならすぐさま蹴る時のニューロンが発火するかもしれない。しかしBさんが卵を蹴る代わりに手に取ると、それをじっと見ていたAさんも、卵を手に取る時のニューロンが発火するだろう。Bさんが卵かけご飯を食べると、Aさんの卵かけニューロンが発火する。AさんがBさんを見て、その動きに同一化する限りはこれが起きるのだ。
これはどのようなことを意味するのだろうか。AさんはBさんが卵を手に取るしぐさを見て、自分でもそれを心の中で想像するわけだが、それは単なる想像ではない、想像以上のことを行うということだ。敢えて言うならば、彼は体で思い浮かべるのだ。そしてそこにはおそらく感覚レベルでの思い浮かべも生じる。つまり卵の表面のスベスベ感やその時の心地よさも疑似体験するのだ。
以上の記述を見て、おそらくある人は、「なるほど、すごいことだ」と思い、別の人は「それでどうしたの?」という反応を起こすはずだ。後者の人は「だって、人のやっていることを見て、同一化すること、あるいは理解し共感することってそういうことなんでしょう?」私はその気持ちも実はよくわかるつもりだ。
「卵かけご飯を食べている人を見て、その人の気持ちに共感することとは、その時動かすお箸の感覚や卵かけご飯の味わいを想像することだよね。例えば卵かけご飯を食べたことがある人なら、その味を覚えているだろうし、それを思い出しているはずだ。ということは脳でそのようなことをやっているはずだよね。」
その通りなのである。でも一体ある行動を想像する時って、脳の中で何が起きていることだろうか。それを実際に体験した時に発火したニューロンの一部が、その時も発火しているということだろう。例えばリンゴを思い浮かべる。あなたの後頭葉の一次視覚野には何の反応もないはずだ。何しろ知覚入力がないのだから。しかし知覚を統合していく高次視覚野のどこかのレベルは発火しているはずだ。リンゴを思い浮かべるときは、きっとその知覚表象も思い浮かべているからだ。ちなみにアルヴィン・ゴールドマンという人は、「シミュレーション仮説」というものを唱えているらしい。これはある人の気持ちを理解するためには、その人と同じことを自分でやってみなくては分からないというものだという。でもこれもある意味では当たり前の話だ。
このように考えるとミラーニューロンの発見が実に不思議だということが分かる。その存在はある意味では当たり前だ。想像する、ということはそういうものだということを追証したに過ぎない。そして当然ながらミラーニューロンは感情に関しても知覚に関してもあることになる。というよりはミラーニューロンなる特定のニューロンはないのかもしれない。あることの体験を持とうとしたり、それを想像したりする際に、つまり疑似体験しているときにそれに関係しているニューロン、というだけのものかもしれないのだ。そしてミラーニューロンの発見のもととなったアカゲザルの有名な実験は、アカゲザルもほかの個体や人間の行動の意味を理解し、自分でも想像できる、というただそれだけのことかもしれないのだ。だったらどうして世界はそこまで大騒ぎをしたのだろうか。