昨日はミラーニューロンという特別なニューロンなどないのではないか、という話だったが、これに関する思索をしばらく続けたい。その根拠として、「痛覚ニューロン」がある。ラマチャンドランが「脳の中の天使」の中で紹介しているが、前部帯状回には、痛みに反応するニューロン(「痛みニューロン」)が存在するという。このニューロンが面白いのは、それが自分が皮膚に針を刺されたときだけでなく、人の皮膚に針を刺された場合も発火するということだ。こちらのほうが他人の行動に反応するよりもっと興味深い。というのも他人に対する共感の最も明確なのは、「他人の痛みを自分のことのように感じる」ということであり、ここにも特殊なニューロンが関係しているかあだ。そしてこの痛みニューロンもミラーニューロンか、と言われればそうだろう、ということになる。だからミラーニューロンは特定のニューロンではなく、ある種の役割を担うニューロンの総体と思えるのだ。何かを実際に体験した時に活動するニューロンの中で、想像しただけでも活動するものはミラーニューロンということになるのではないだろうか。
ただしここには一つ問題があるかもしれない。痛みニューロンは、自分が針を刺されることを想像するだけでも発火する。しかし目の前で他人が針に刺されるのを見たり、遠くで他人が針に刺されるのを見たり、あるいはさらに地球の裏側で誰かが針に刺されるのを想像した場合にやはり発火するだろうか。多分異なるだろう。ししてそこには個人差もあるのではないであろうか。
ここで発達障害の問題が出てくる。最近のある研究では、ミラーニューロンがあまり機能しないのが自閉症スペクトラムの問題である、としてそれを「自閉症に関する『壊れた鏡』学説 broken mirror theory of Autism」 と呼ぶという。
杉野、松本ら(2015)他者行為理解に関わる脳内プロセスの生理心理学的検討 ― 行為の意図性が脳波のMu リズム抑制に及ぼす影響 ―作大論集 / 作新学院大学, 作新学院大学女子短期大学部 編 第5号 99-113
さてミラーニューロンは、単に想像するだけでも発火するニューロンというだけには留まらないということも重要である。それは視覚的にとらえられた他人の体の動きを、その人の体の動きをプログラムする前運動野に自動的にマッピングしてくれるのではないかということである。この発想がどうして出てくるかと言えば、新生児がなぜ母親の模倣をできるのか、という問題があるという。メルツォフの研究で有名であるが、新生児が生直後には、母親が舌を出したのに対して自分も舌を出して模倣する、ということがどのように可能なのか、という問題がある。少なくとも赤ちゃんは舌を出す、という体験を積んではいない。
でも母親がそうするのを見ると、あたかも母親の前運動野のプログラムが、赤ちゃんの前運動野にコピペされたかのようにして、赤ちゃんがそれをまねできるということが果たして本当におきるのだろうか。それがおそらくそうなのである。このことは例えば言語獲得のプロセスを考えれば明らかではないか、ということにもなる。 いかに簡単な図を示す。