このところ模倣のことばかり考えている。人間の心の本来的なあり方が模倣から出発していると考えると、様々なことが説明できるような気がする。人間の脳の働きがデフォルトで模倣を(無意識的に)行い、そのことが私たちの文化の発展に貢献した、というのがラマチャンドランの考えだ。それが人類において数万年前に起きたとされる。
模倣するという傾向は新生児で著しく、歳とともにやがて低下していくのであろうが、成人になってももちろん続いていく。特に社会的な行動などはそうだろう。
ある体操の選手は、他の選手の演技を見ているだけで、もう頭の中でそれを自分でやるだけのプログラムが組み立てられるという。ある似顔絵の上手い先輩は、人の顔を見ている時、それを似顔絵で書くというモードで見ているといっていた。見ている時、すでに「描きモード」で見ているわけだ。だからその人の顔を思い出すということはそれを描けることだ。他者が何かをした時、それを真似ようとしたら真似られるという目で見る体験をするのが人間だ。オランウータンもこれに似た性質を持ち、チンパンジーではそうでない、というのがよくわからないが。そしてそれを可能にしているのがミラーニューロンということになる。
しかしこのことが感情体験にもかかわっているというのが面白い。運動と感情は別物だ、と言われるかもしれないが、悲しんでいる人を見て悲しいと感じる際には、顔をゆがめ、涙腺が緩むという体の「変化」が鏡写しにされ、それから感情がわく。まず身体的な変化が起き、それから感情が生まれる、という順番はジェームス・ランゲ説そのものだ。この説はとうの昔に古臭いと棄却されていたと思っていたのだが。そしてそのためにミラーニューロンは情動をつかさどる辺縁系とも結びついている。イアコボーニの著書に関する解説を読んでいて、次の文に出会った。「科学的には、ミラーニューロンから大脳辺縁系への経路を明らかにする必要があるが、イアコボーニらはまず解剖学的にこの両者を結んでいる「島」という脳領域を見つけた。さらに被験者がさまざまな表情をしている顔写真を見て模倣をしているときに、ミラーニューロン、『島』、大脳辺縁系の三つの領域が活性化していることを脳のイメージング手法である機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)で明らかにした。」
思考はどうか。これもおそらく行動と関係がある。腹を立てる。留飲を下げる。堪忍袋の緒が切れる・・・・。なんと運動が関係していることか。私たちの精神活動のかなりの部分に、運動がかかわっているというのは確かなことらしい。