2020年2月1日土曜日

難治例のアセスメント 2


発達障害とパーソナリティの問題の「重ね着」について

重ね着状態としてのアセスメントに関して、特に問題となるのが、いわゆる発達障害とパーソナリティ障害との着あわせ具合の問題である。否、両者はもはや別々の層というよりは複雑に織り合わされていて、区別がつかない状態となっているかもしれない。(下着と上着が一緒になった着物ってなんか変な気もするが。)すると区別がつかないものをどちらかに混同することから問題が生じる可能性がある。
幾分数値化が可能なASDの方から考えよう。ある人がAQテストやASRSなどのスクリーニングテストで発達障害を疑わせるスコアを得たとされる。例えばAQ34点であったとしよう。しかしあまり顕著な発達特性がピックアップされず、むしろ変わった人、パーソナリティ上の特徴を備えた人と思われ、あまりASDとしては扱われないでいたとする。この状態をいわばボーダーライン上にある発達障害、ということで時折見かけるborderline autism (BA) という表現で呼んでおく。これはASD(自閉症スペクトラム障害)の軽症型、ととりあえず理解することができる。
私が注意を喚起したいのは、このBAの状態が、臨床上最も大きな混乱を伴いやすいという点だ。顕著なレベルでの障害を持たないものとして扱われることで、かえってその問題が際立ってしまうという問題の例が多くあるのである。例えば知的能力がボーダーラインのレベル(IQ7085)にある人が普通学級で苦労するのに似ている。「明らかな知的問題はない」となれば、成績が振るわないのは本人の努力不足、甘え、あるいは性格のため、という事になり、叱責や指導の対象にさえなりかねない。
同様にBAの場合も「意図的に人間関係を難しくしている」と誤解されたり、それゆえにパーソナリティの問題とされたりして当人への風当たりはそれだけ厳しいものとなる。つまりその問題の存在が明らかなASDと比較して、BAは、それを有することで、それとは真逆の見立てや対処の対象となりうる、という皮肉な現実があるのだ。その意味ではよく言われる「発達障害というよりはパーソナリティの問題」という表現には、それを用いる側も聞く側もよくよく注意すべきである。それが用いられたとたん、上の皮肉な現実を生み出してしまう可能性があるからだ。
ここでさらに概念の整理が必要となる。パーソナリティ傾向とASDないしBAとはどこが違うのだろうか? 自閉症スペクトラムの特徴は様々に記されているが、DSM-5の表現を用いるならば、他者との自然な情緒的関係の持ちにくさ、文脈に沿った行動を取れないことなどであり、これを「他者の情緒を感じ取れない」という問題としておこう。ようするに「空気を読めない」ということだ。どうしてこれが対人関係上の問題となるのだろうか? 私の臨床感覚からは、それが自然な対人交流を妨げるだけではなく、結果としてASDを有する当人の被害念慮を生むことが大きな原因となっていると考える。彼らは他人との確執が生じた時に、自分の特徴的な思考や感情表現が、相手にどのような情緒的な反応を及ぼすかを実感することが難しい。そしてその原因を求めようとすると結局は被害妄想的な「相手は自分に悪意を持っている」という結論に至りやすいらしい(本田、2013)。「自分は正しいのに、相手が判ってくれない」となるわけだ。
他方のパーソナリティ障害についてはどうか。これも手短にまとめてみよう。従来DSMICDは情動、認知、対人関係の持ち方における病理性に基づき十前後のパーソナリティ障害を提示していた。ボーダーライン、反社会性、自己愛、スキゾイド、などなどだ。その後はいわゆる「ビッグファイブ・モデル」に趨勢がシフトし、どの程度病的パーソナリティ特性が反映されているかにより分類するといういわゆるディメンジョナル・モデルへと移行した。否定的感情(不安や敵意の度合い)、離脱(引きこもりや孤立の度合い)、対立(操作的、冷淡、敵意などの度合い)、脱抑制(衝動性、無謀さ、完璧主義の度合い)、精神病性(風変りさ、異常な信念の度合い)のうちどれが高くてどれが低いかによる分類である。これらのうち高いスコアを示すものは、それだけ正常範囲から偏奇したパーソナリティを有するということになる。しかしこれらの分類には、そのような自分のパーソナリティの偏奇を自分自身がどれだけ自覚できているかという変数は含まれない。たとえば否定的感情が強いパーソナリティを持つ人は、それにより他者にどのような受け取られ方をしているかについての自覚自体は問われていないことになる。逆に言えば、それらについての自覚がもてない場合には、その分だけ「他者の情緒を感じ取れない」というファクターが絡んでいることになる。これは先ほどのASDの特徴だが、パーソナリティ障害は、当人が自らのパーソナリティを自覚しない(出来ない)度合いに応じてASDBAの要素を併せ持っていることになる。

ここで誤解を承知で思い切って簡略化した図を示す(ここでは省略)。右側の大きな青の楕円はパーソナリティ障害であり、左側のオレンジの楕円はASDBAを示す。両者には重複部分がある。なぜASDがパーソナリティ障害と重複するかというと、ディメンショナルモデルで考えると、ASDを有する結果として示される見かけ上のパーソナリティの偏奇は、容易にパーソナリティ障害を満たしてしまう可能性があるからだ。なぜなら上記のビッグファイブのファクターのいずれも発達障害の二次的な結果は除くと明記はしていないからだ。そして当然ながら、「他者の情緒を感じ取れない」ことの結果としておきうる問題はこの五つのうちどの要素も押し上げる可能性がある。つまりそれは他人に対する猜疑心(否定的感情、対立)にもつながり、あるいは知的活動などに没頭して孤立する傾向(離脱)にもつながり、時には奇矯な行動(脱抑制、精神病性)にもつながる可能性がある。だからASDBAのかなりの部分はこの(見かけ上の)パーソナリティ障害にも属する結果となってしまう。(ただしパーソナリティ障害に属することのないASD,BA者もいることを想定し、オレンジの楕円には、青の楕円にかからない部分を残してあるのである。)そしてここの部分に事実上の(見せかけの?)重ね着が起きていたのである。