2020年1月1日水曜日

揺らぎと心の臨床 2

皆様、明けましておめでとうございます。
今年の目標。このブログの誤字や変換間違えを少しでも減らすこと。


A先生とBさんとの間で起きること

A先生(ここからはこう呼ぼう)の前に初診のクライエントとして座ったBさんは、自分が以前から持っていた悩みについて話したいという希望を持って来談した。しかしそれはかなり個人的な事情、つまり母親に対して持っている複雑な思いであり、一度には話しきれないし、それだけの考えもまとまってはいないという感覚がある。出来ればゆっくり時間をかけて話していきたいし、そのためにはまず担当する心理士との間でそのような話が出来るような雰囲気に慣れることが大事だと考えていた。Bさんにとっての母親は幼いころは絶対服従の対象であったし、その母親に対するネガティブな気持ちを話すためには、そのことについて治療者に批判されたり軽蔑されたりしないことがとても重要だったのだ。そのようなさまざまな懸念を抱き、緊張してA先生のもとを受診したBさんだったが、もちろん彼とは初対面であり、またそのクリニックを受診する際に若い男性の心理士が担当になることもわかっていなかったのだ。
A先生は「では早速今日こちらにいらした動機についてお話し下さい。何かにお悩みですか?」と、のっけからBさんを正面から見つめて単刀直入に尋ねてきた。それに対してBさんは圧倒される思いだった。Bさんはしばらく沈黙し、母親のことについてどうやって切り出していいかわからず、「実は私の家族のことで・・・・」と言ったきり、沈黙してしまった。A先生は怪訝そうな顔でこう聞いてきた。「ご家族、と言われてもどなたのことでしょうか?
こう言われたBさんの頭には様々なことが去来していた。
「このまま母親のことを直接切り出すべきだろうか?
A先生は私の話をきちんと受け止めてくれるだろうか?
A先生は私が話しにくいことを話そうとしている気持ちをわかってくれているのだろうか?
「今日はこのまま帰ってしまおうか?
その間にA先生は診療記録に次のように記載した。「このクライエントの話は要領を得ず、意味不明である・・・・・・。」

治療場面で出会ったA先生とBさんとの話はここまでにするが、私が示したいのはツーパーソンということの意味である。少なくとも心理療法、カウンセリングという治療手段に関しては、医師が患者の患部を診察して診断を下す、という一方通行なワンパーソンサイコロジー的なかかわりが、二人の出会いから、あるいはそれ以前から起きていしまっているということである。Bさんは確かに母親との間での問題を抱えていて、それはBさん独自の問題だった。しかしその問題が初回でどこまで扱われるかは、Bさんの担当をしたA先生との関係に非常に大きく左右されてしまうということである。そのことはBさんがA先生とは全く違ったタイプの心理士で、Bさんの気持ちを理解するタイプの、あるいは揺らぎを重視するような心理士さんと会ったならどのように展開していったかを考えればわかるだろう。その先生(C先生、としよう)なら、Bさんとの初回面接の後、その記録には「要領を得ず、意味不明な人」とは全く別の描写が書かれる可能性があったのである。