第7章 揺らぎと心の臨床
この最後の章は私が専門とする精神分析や心理療法と揺らぎの関係について論じる。精神分析の世界ではここ2,30年ほどの間にとても大きな動きが起きている。それがいわゆる「ツーパーソン・サイコロジー」ないしは関係精神分析の流れである。そしてこの流れが、心を揺らぎとして捉えるという見方と見事に合致しているのである。
フロイトが一世紀以上前に創出した精神分析は、心を理解して治療を行う上できわめて大きな影響力を発揮した。1900年代になって次々と生まれた精神療法はいずれもこのフロイトの精神分析をヒントにしたり、それを改良したりしたものだったのである。しかしそれはどうしての一方通行の治療法であった。つまりそれは治療者が患者の話を聞き、そこに表れた病理や問題を理解し、伝える、介入するという形を取っていたのである。その意味で、問題を持った患者という一人の人間を相手にするという意味でワンパースン・サイコロジーと呼ぶべきものだった。そしてそこで起きていることは、たとえ一瞬ではあれ時間を止め、治療者が患者をフリーズさせ、あるいは顕微鏡でのぞいて観察する、というニュアンスを持っていたのである。
しかしこのワンパースン・サイコロジーは、正確さや客観性を担保するための試みと言えたが、それには実は大きな問題があった。体に問題を抱えていたり、脳に問題を抱えている場合には、そのようなアプローチで問題がないわけだが、心を扱う心理療法では、患者と治療者の関わり方そのものが患者にとって大きな影響を与えることが明らかになってきたからだ。
いまや数多くの精神分析家が異口同音に唱えていることがある。それは治療関係はそれを構成する二人(ツーパーソン)相互の力動的な関係性により成り立つ。それを専門的な表現と用いるならば「相互互恵的影響mutual reciprocal influence」 と呼び、ミッチェル、ストロロウ、ベンジャミンなどが皆一致している(Wallin,)。そしてこれはある意味では揺らぎの精神療法、心理療法とも言えるのである。
このツーパーソンサイコロジーと揺らぎの関係を説明するために、前章で例に出したA君とBさんの関係を例に挙げよう。今度はA君は心理士となって臨床を行うことになったとしよう。そう、あのゼミは臨床心理士になるための大学院におけるゼミだったのだ。そしてBさんはそのゼミには登場せず、A君が臨床のトレーニングを始めて最初に出会った患者さんとして登場する。Bさんは普通の感性を持った女性で、今度はA君は初めてのクライエントとしてBさんと対面する。A君はBさんのことを魅力的な女性と感じるだろうが、さすがに自分の立場をわきまえているため、もちろん心理士として適切に対応するべきことは分かっている。