2019年12月27日金曜日

揺らぎ欠乏と発達障害 8


ここで残念なことは、A君とBさんは結局心が通じ合えないままで終わってしまうということだ。ただしそれは主としてAさんの側の原因によることになる。Bさんの方はおそらくほかのある程度親しい人とも、曖昧さを含んだコミュニケーションを取ることが許される限りでは、気持ちを通じ合わせることが出来るだろう。そこではお互いに心の深い部分はたがいに触れず、漏らさず、曖昧さを残した交流を行い、互いに必要以上の明確化をしないし迫らないことを暗黙の了解事項にしている。曖昧なメッセージにはそれなりの理由があり、それ以上はお互いに問わないことでバランスが保たれる。(というよりはそもそも人間関係において本音といったものは私たちが考えるほどは存在しないのかもしれない。むしろ本音が明確にどこかにあるとの前提を持つことそのものに問題があるというべきか。しかしこれはこれで別件であり、それなりの説明が必要なので、ここでは触れないでおこう。)
もう少し具体的な話をしよう。Bさんには同性のCさんという友達がいて、親しく交流をしているとする。二人の間のメッセージのやり取りは曖昧さを含むが、それで双方が満足している。その意味ではお互いのメッセージの持つ曖昧さを許容しあっている。親しい、と言っても「親しき仲にも礼儀あり」なのだ。
たとえばBさんが次の見たい映画があり、次の日曜に行きたいと思うとしよう。一人で行くよりは誰か友達と見に行きたいが、少し変わった映画でなかなか一緒に見に行ってくれる人がいない。Cさんもその種の特殊なホラー映画が好きとは聞いていない。Bさんは遠慮がちにCさんに事情を話して誘ってみる。しかしいつもは付き合いのいいCさんがいい顔をせず、その理由も言おうとしない。BさんはおそらくCさんには何か事情があって来れないのであろうが、それ以上は誘うこともなく、また来れない理由を追及しないだろう。Bさんには「Cさんは私を好いてくれている。いつも色々と付き合ってもらっている。でもそのCさんがためらっているのなら特別な理由があるのかもしれない。そしてそれをはっきり明言しないからには、それを聞いて欲しくない理由もあるかもしれない。」
もちろんBさんもCさんが積極的に付き合ってはくれないことにどのような理由があるかを知りたいとは思う。想像もいろいろ膨らむ。「Cさんはその種のホラー映画がよほど苦手で、でもそれを言うことで私を傷つけたくないので言わないのだろうか?」「Cさんに恋人が出来てデートの約束があるのかもしれない。でも私にはそれを言いたくないのだろうか?」あるいは「何か病気を抱えていて休日はなるべく安静にしておきたいのだが、私に心配をかけたくないから言わないのだろうか?」このようにBさんは様々な憶測をするかもしれないが、あえてCさんに来れない理由を問い詰めないところが二人の良好な関係が保たれる一つの理由かもしれないのだ。
実はCさんの方からBさんに何かを頼んだり、私的な事柄を尋ねたりすることがあるが、彼女の方もBさんの気持ちを尊重し、同じように気を使っている。親しい割には意外にも相手の知らない部分がたくさんあるのだ。しかし共通の趣味やテーマについては盛んに議論し、意見を戦わせることもあり、概ね二人の関係は良好に保たれているのだ。
この様に相手がお互いを思いやる関係は、お互いに知らない部分、曖昧な部分を残し、それを明確にしないという部分を含む。結局相手に対するリスペクトとは、相手の心の見知らぬ部分をそっとしておくことを前提としている。そしてもちろん自分に関して触れて欲しくない、あるいは自分自身が触れたくない部分を尊重してもらうこともとても大切になる。
人と人が互いに尊重し合いながら暮らすということが、互いに曖昧さを許容することに関係するという主張は、多くの方にあまりピンとこないかもしれない。深く付き合うこととは、互いの心を洗いざらい相手に伝えること、という間違った観念を持っている人にとっては、私のこの主張は理解に苦しむかもしれない。しかしお互いの私的なことをあらゆるレベルにわたって知ることで、たとえば夫婦の仲はどんどん深まっていくとは限らないことを私たちはよく知っている。パートナーのケータイをたまたま見てしまうことでそれまで保たれていた関係があっという間に崩れるという例は枚挙にいとまがない。