2019年12月24日火曜日

揺らぎ欠乏と発達障害 5


揺らぐ心と揺らがない心

以上の考察から、発達障害を揺らぎの減少した、ないしは欠如した心の状態とみなすことには、読者の皆さんはある程度は納得していただけるだろう。ただし私はこの二つの心の在り方に優劣をつけるつもりはない。というよりは両者はともに必要な心性なのだ。ただしこのうち一方が欠如してしまうことの弊害が問題なのだ。
揺らがない心も必要だといったが、本書で揺らぎの意義を強調してきた手前、この主張は意外に感じられるかもしれない。しかしこの点は強調しておかなくてはならない。そもそも私たちが理屈や理論に従って物事を処理するときは、極力揺らぎを排除して思考をする。すでに述べたように、人が白黒の決着をつけ、排他的に決断をすることは、生命維持のために必要なことだったのだ。それはある事柄を遂行する際には特に際立って重要になる。目の前に現れた生き物が、自分の天敵なのか、それとも逆に自分が捕食をするべき獲物なのかはおそらく瞬時に決断をしなくてはならないことである。すぐに逃げないと逆に捕食されてしまうであろうし、またすぐに捕まえないと捕食する機会を失ってしまう。その際はあらゆる具体的な情報を勘案して、即断しなくてはならない。そしてその決断を下すうえで不明であったり得られていない情報があったりすれば、それを即座に追及する必要がある。この時の心の動きは、どちらかと言えばAI(人工頭脳)的と言えるだろう。あいまいさのない、理論的な推論に従った即断即決が特徴である。そしてそれはちょうど先ほどの例でいえば、A君のBさんの返事への対応だったのだ。ではこのような曖昧さのない、揺らぎのない思考の何が問題なのだろうか?それは二点あげられる。
第一点はこのような思考方法は一種の個人的なこだわりへと発展することである。論理的に物事を判断し、それに従って行動をするという方針は、それにまつわる様々な事柄を一義的に決めていくことにつながる。
この説明のために、キャベンディッシュに登場してもらおう。18世紀の英国の天才ヘンリー・キャベンディッシュは化学、物理学の分野で華々しい成果を上げたが、生涯同じ散歩道、同じ服装を通したことが知られる。そして現代的な見地からは、彼にはアスペルガー障害としての兆候を多く備えていた(自閉症の世界 スティーブ・シルバーマン 正高信男。入口真夕子 訳 講談社 ブルーバックス 2017年)
これは彼の行った緻密で正確無比な実験と一体となっていたと考えられる。物事の条件を一定にし、そこで起きることを観察するのは科学の情動だ。チャールズ・ダーウィンは「キャベンディッシュの脳は細かく測定をしては違いを明らかにするエンジンだった」(同P25)と称したというが、彼が自分の思考も同様にコントロールしようとしたことは想像に難くない。そしてそれを生きた人間が行うとしたら、そこに当然のごとく一種の快感が伴っていなくてはならない。そしてそれは自分の生活パターンについても当然のごとく波及するというわけだ。
問題はこのこだわりが、その人個人に留まればいいのだが、社会で生きるうえで出会う様々な人々との齟齬を生み出すということである。生涯独身だったというキャベンディッシュだが、仮に奥さんをめとり、共同生活が始まったとしよう。彼女は決して生涯同じ時間に同じ散歩コースを彼と歩いてはくれないであろうし、違いを計測するための様々な機器によって部屋が埋もれることをよしとはしない。彼を天才とは認めずにとんでもない変人として扱う可能性が高いのだ。