2019年12月22日日曜日

揺らぎ欠乏と発達障害 3


誘った相手から「今度の日曜は予定がある」という返事を受け取った時、私たちの多くは、二つの可能性の間に立たされたという感じを持つだろう。まずは相手に断られた、フラれたという可能性であり、これが心に占める割合をおよそ80パーセントくらい、としておこう(いかにもテキトーな数字だ)。そしてそれとは別に、肯定的な可能性、つまり「別の日なら大丈夫よ」という意味が込められている、という可能性に一縷の望みを繋ぐことになる。こちらは20パーセントとしておこう。
これらは相矛盾した可能性なので、心はそのどちらかに揺れるのだ。白でもなく黒でもなく、しかしかなり黒に近い灰色としての体験といえるだろう。しかし実際には自分を拒絶するBさんのイメージを思い浮かべた瞬間には黒を体験して落ち込み、私に微笑みかけているBさんを思い描いた時に白を体験して少しホッとする、ということが起きている。おそらく心は一瞬体験するのは白か黒か、という二者択一的なものと考えるが、心はこの白と黒の間の行ったり来たりの弁証法を延々と繰り返すことになる。大体それを41の割合で行うだろうというのが、80%20%という数値の意味だ。
このような揺らぎを体験しつつ、私たちはその先に起きるであろう事態に向けて心の準備をしていることにもなる。もう一度誘って断られるとおそらく今度は95%5%という割合でBさんとは縁がなかったという現実の重みが増し、それを受け入れていく。これがふつうの私たちの心のあり方だ。そしてBさんからのこのようなメッセージを受けた場合には、それに対する返事をどのような形でするかを、当分は見合わせる、という選択肢をも含めて熟考するだろう。それはそもそもBさんからのメッセージが持つ曖昧さに対するリスペクトとも言える。対人関係でお互いの言葉の行間を読むとはそういうことだ。
それに比べて発達障害的な心性を持つA君はこのような動かし方をしない。「今度の日曜は予定がある」というBさんからのメッセージはまさに字義通りであり、裏に含まれている可能性のある意図は汲み取られない。黒は黒、白は白として理解され、どちらとも取れるメッセージについてはそれを明確にするための質問を畳み掛けるようにする。そしてこの畳み掛け方が、揺らぎの欠乏を反映している。というのも相手からのメッセージを揺らぎを持って体験することは、それに対する自分の返事のメッセージもまた相手に揺らぎを持って体験されることを想定することにつながり、そのための熟慮の時間も当然あってしかるべきだからだ。