2019年12月20日金曜日

揺らぎ欠乏と発達障害 1

私が身を置く世界、つまり精神医学の世界では、「発達障害」という概念や診断名は、いまや大流行りである。過去にこれほど人々の注目を浴びた精神障害はあっただろうか? 1970年代からは境界パーソナリティ障害などが非常に注目を集めた。その時代に新たにこの診断が下された患者さんもたくさんいたころだろう。それから時代は下り、発達障害の時代となった。この診断が特徴的なのは、これに該当する人々が莫大な数に上るということである。発達障害、特にいわゆる自閉症スペクトラム障害などは、高機能、高知能の人々に多く見られるとされる。そして自閉症が極端な男性型脳であるという、以下に述べるバロン・コーエンの仮説にみられるように、男性一般に少なからずみられる傾向であるという考え方も示されている。そうであれば発達障害の傾向を有する人は、人類の少なくとも半分ということになり、症例数が多い、というどころの話ではなくなる。
サイモン・バロン‐コーエン氏
このように発達障害の議論は人間が本質的に持つ思考パターンや傾向の一端を示しているとも考えられ、その意味では多くの臨床家の関心を呼ぶことは十分に理解されるのである。本章で私がこの発達障害の問題を取り上げるのは、この章の表題にも掲げたこと、すなわち心の揺らぎのある種の欠如と発達障害傾向の関係性を示すことであるが、そのために先ほど述べたバロン=コーエンの議論を少し参照したい。ちなみに彼の議論は私が発達障害やアスペルガー問題を考えるうえで大きな刺激を与えてくれたという経緯がある。 
バロン=コーエンは人の脳の機能を大胆に二つに分類する。それは彼が言う「システム化機能」と「共感機能」である。「システム化機能」とは物事を整理し、順序だて、枠にはめ込む機能である。また「共感機能」とは他人の気持ちに共感し、思いやりの感情を持つという機能だ。これらは両極端な機能というよりは別々のものであり、人はこの二つを同時に併せ持つと考えてもいい。例えば前者は日常生活や仕事で具体的な業務を能率よくこなすうえでとても大切であろう。また後者は社会生活の中で、あるいは家族や友人との関係で、他者とのかかわりを持つうえで必要不可欠な能力と言える。
 さて彼の議論の中で注目するべきなのは、人はどうやらこれらの能力の持ち方に偏りがある、という点を指摘したことだ。つまり「システム化機能」と「共感脳」とは拮抗していて、どちらかが得意な場合は他方は苦手、という関係があるというのである。つまり両方の能力には負の相関があるというわけだが、これは実は不思議なことと言えるだろう。普通人間の能力は競合しないことの方が多い。サッカーが得意な人は野球も得意だろう。サッカーが得意な人ほど野球が苦手、という傾向は普通は考えられない。運動神経がいい人は、大体どちらもうまくなるし、後はどちらにより多くの時間を割いて練習をしたかということによる得手不得手の違いが生じるだけだ。ところがシステム化と共感は、あたかも脳がそれを使う領域を争っているかのような、あるいは一方を働かせることが他方を抑制するかのような関係を有していることになるのだ。