2019年12月16日月曜日

揺らぎと失敗学 推考 3


結局ハインリッヒ則とべき乗側は同じか?

ということで失敗、ないしは事故ということを少し掘り下げて考えるならば、この問題はこの世を支配している冪乗側の議論と結局何ら変わらないことが分かる。少なくともそれが私の現代風のハインリッヒの法則の理解だ。そこで例のピラミッドの図を、べき乗則を考慮したうえで書き換えるとどうなるのだろうか? それを第一部、第三章で見たロングテールの図式から導き出そう。あれをピラミッド型に描き代えるとどうなるのか。そこでやってみた。まず以前に示したロングテールの図。

これを二枚用意し、片方を反転させてつなぎ合わせると以下のようになる。
これがその図であるが、これは数日前に出てきたロングテールの図を実はハインリッヒが描こうとしていたのはこれではなかったか。
ここで少し気になるので「ハインリッヒの法則」と「冪乗則」という二つのキーワードでネットで検索してみる。両方のつながりは結構示唆されているが、「ハインリッヒの法則は結局は『なんちゃって冪乗則』である」と言い切っている文章には出あわなかった。
ところでハインリッヒは実際にどう考えていたのかを少し振り返ってみる。前掲図に示されているとおり、彼はすべての事故がたとえば330回起きると仮定する。そしてそのうち300回では人は外傷を負わないとする。そして29回は軽症の外傷を負い、1回は重症の外傷を負うとする。そして重症の外傷は、この330回のうちいつ生じるかわからないとし、また教訓 moral として、「とにかく事故を防ぐべし。さらば事故や外傷はおのずと回避される」とする。
このハインリッヒの記載から伺えるのは、労災には理由があり、それは事故であり、それが存在する限りは外傷は生じるべくして生じるという考え方である。このスタンスは冪乗則と似ているようで異なっていると考えるべきだろう。それは大事故には理由、ないしは基本的に原因があるとする考え方だ。ただしその原因とは原因ともいえないようなインシデントであり、そのどれが外傷を伴った労災に発展するかはわからないとも言っているようである。するとこの議論は堂々巡りのようにもうかがえる。
結局私たちは次の二種類の立場を扱っているのだ。
1.   あらゆるインシデント(正常とはいえない出来事)が、重大事故に繋がる可能性を有している。(ハインリッヒの立場)
2.   あらゆる揺らぎが、激震に繋がる可能性を有している。(冪乗則の立場)

こうやって書いてみると、やはり事実上同じことを言っているのではないか?と思えてくる。 1.については「ではインシデントを完全に防ぐことは出来るのか?」と聞きたくなるが、実はハインリッヒ自体が、そんなことは無理だといっている。(今度ゆっくり原典に当たってみよう。だからその意味では 2.に近いことにある。また 2.については、では揺らぎがないところには激震もおきないのか、ということになるが、そもそもプレートの境目から遠く離れた、プレートの中央付近なら、地震は基本的に起きないだろう。
参考のためにここに図を示した。世界地図に地震の頻度を赤い点で描き入れたものである。
この図からは北アメリカの中央付近にはほとんど地震が起きないことになる。私が17年間暮らしたカンザス州のトピーカという小さな町は、この北米大陸の中央平原の真ん中にある。私はそこで地面の強い揺れを感じたことが、17年間の間一度もなかった。これはちょうど稼動していない工場ではインシデントが起こりようがないということになぞらえることが出来よう。人は 1.の場合は重大事故の「原因」は明確であり、それはインシデントであり、それだけ注意して仕事をすればいい、というだろう。確かにそうかもしれない。でもそれと同じことを 2.では言いにくい。地震がまったく起きないところにいかない限り、地震の多発地帯では頻発する地面のゆれは、いくら努力しても止められるものではない。でもたとえば工場での生産を100パーセントロボットに任せるという奥の手を使ったら、インシデントをゼロに近くできるかもしれないし、将来どのようなテクノロジーが開発され、地殻の微少のゆがみを正すべく規則正しい振動を地面に与える、などの技術が出来るかもしれない。つまりは 1 と 2 はあまり変わらないということを言いたいのだ。ということで私なりの結論としては、ハインリッヒの法則は、冪乗則として洗練されてはいないものの、似たような発想によるものであり、彼の考えたピラミッドは結局はロングテールの左右張り合わせのことだ、ということになる。ハインリッヒのピラミッドはそれがあまりに単純化されていたのである。