2019年12月18日水曜日

揺らぎと失敗学 推敲 5


考えてもみよう。テレビ番組は朝早くから放送をしていて、よくみな寝坊しないものだ。「○○アナ、今月は3回目の遅刻」なんてことがどうして起きないのかと不思議になる。それどころか毎日どこかで誰かの講演会や演奏会が開かれ、遅刻することで大変な迷惑がかかる。運転手が遅刻して始発電車が出なかったというレベルの話は全国ネットのニュースになってしまう。みな遅刻という不名誉な「失敗」をどの様に回避しているのだろうか。 
そこでこの遅刻という失敗について考えてみよう。もちろんテレビ局などでは二重、三重の防止策をしているのだろう。マネージャーが朝当人が目が覚めているのを確認する、とか。でもそのマネージャーが目が覚めなかった場合の策を講じているところなどないのではないか。
もう少し詳しく見てみよう。朝7時に起床する予定のある女子アナさんがいたとする。そして彼女や、それ以外のテレビ関係者が起床時間に起きれずに寝坊する確率をPと単純化しよう。その女子アナさんが7時に起床できず、彼女に確認のモーニングコールを715分に入れるはずのマネージャーも寝坊してしまう、やや重大なインシデントが起きる確率Pはという事になる。そして念には念を入れてマネージャーにサブマネージャーがついていて、730分に確認のモーニングコールをする約束になっていたと仮定し、その人まで寝坊して730分というぎりぎりの時間になっても女子アナさんが寝坊している確率はPとなる。すると結構ハインリッヒ、いや事実上の冪乗則がここに成立することになるだろう。女子アナの7時の時点での寝坊というよくあるインシデントの起きる確率と、マネージャーさんまで寝坊して715分まで寝坊しているという少し深刻なインシデントが起きる確率と、730になっても女子アナさんが起きていずに、番組に穴をあけるギリギリの、かなり深刻なインシデントが起きる確率は、PPPという事になるのだ。
この女子アナさんの遅刻という失敗は、何人かのチェックをすり抜けて生じたことになり、ある意味では失敗の典型と言える。しかし同様のチェックのすり抜けは個人の中でも生じる。それはたとえば車の運転を考えればわかる。例えば車が信号に差し掛かり、左折しようとしている状況を考えよう。横断歩道の信号が青になり、歩行者が固まりになってわたっていく。そのうち青信号が点滅をし始める。車は歩行者が渡り終わるタイミングを見計らって、車を進めようとする。しかしそんな時でも足早に信号を渡り始める歩行者が目に入る。一番事故が起きやすいタイミングだが、実はとてもよくある光景だ。今風の言い方を用いれば、かなり「アルアル」というわけだ。
もちろんこのような場合99.99パーセントは事故は起きない。運転手の側もこの瞬間がいかに事故を起こしやすいかをよくわかっている。ただしごくまれにこの歩行者が運転手の目に留まらずに車を進めてしまうと、人身事故が起きてしまうわけだ。
ここで青信号が点滅し始めたのもかかわらず、右側方から歩行者がわたり始める場合、これを歩行者の「不規則行動A」と呼んでおく。そして99.9パーセント運転手はこれに気が付いて事故を回避する。しかし一番事故が起きやすい状況は次のようなものだ。不規則行動Aが生じた瞬間、左側方からも歩行者が同様に点滅青信号でわたり始める場合だ(不規則行動Bとしよう)。つまり右からの歩行者に気を取られていて左からの歩行者に対してノーマークになり、事故につながってしまうというパターンである。このBだって「アルアル」であるが、運転者はいわば同時に起きた二つの「不規則行動」に対する対応能力は非常に低くなるからだ。
ここをさらに詳しく見ていく。例えば運転手は、全方向に注意を向けるためにその意識を100%ほど使っているとする。そのうち右方向に33パーセント、左方向に33%、後方に33%としよう。それだけあれば一つの不規則行動には余裕で対応できるだろう。そしてもし実際に起きた不規則行動Aに注意を向けることは、おそらくその意識の33%どころか90%を使ってしまうだろう。すると残り10%で不規則行動Bに対応できる可能性はかなり低くなる。そしてもしそれでも二つの不規則行動A,Bに対応できても、三番目の不規則行動に対してはおそらく全注意力の1%ほどしか使えず、ほとんど対応できないだろう。それは例えば車の後方から近付いてきて車を回り込んで横断歩道を渡ろうとする自転車で、これをCとしよう。もし不規則行動A,B,Cが起きる確率を単純化して一律にPとするなら、それらの二つが同時に起きた場合、すなわちpの確率で、事故にかなり高い確率でつながる事象があり、それが三重に重なった場合、つまりpの確率でほぼ確実に事故が起きるということだ。
私は家人の車の運転を助手席で見ていてこのことを思いついた時には、まさに「目からうろこ」という気がしたのを覚えている。なぜならこのことは「事故は絶対になくならない」ということの確証を得られたと思ったからだ。そしてある意味ではあたかも日常のごく自然な一場面を作り上げるようにして、重大事故を人工的に作り上げることもできるということだ。普通の運転者も、もしこれらのアルアルが偶然三つ重なれば、ほぼ確実に人身事故を起こすだろう。これはハインリッヒ則を説明する一つのわかりやすいモデルではないか。
さて以上の考察はやはり広い意味での意識の揺らぎと関係していると見ていい。私たちの集中力は、それ自体がかなり揺らいでいる。何事かに集中した後はしばらくはボーっととする。いわゆるデフォルトモードに戻るのだ。さらにはあることに注意することは、別のことへの注意をおろそかにする。横断歩道で右方に注意を向けることは、左方への注意をおろそかにする。左、右方向への注意は、今度は後方からの注意をほぼゼロにしてしまうだろう。これが私たちの意識の在り方である。そして意識がこのような揺らぎの性質を持つ以上、失敗はほぼ必然に、いつかどこかで生じることになるのだ。