私がこの自由連想のプロセスを通して体験していたのは何だろうか? ここで読者の皆さんに思い出していただきたいのは神経ダーウィニズムの話である。私は自由連想の減速に従って、心に自由に浮かぶものを待つ。それはいわば大脳皮質の上で何が競争に勝ち、意識に浮かび上がってくるかを待つようなものだ。そこで浮かび上がってくるものは何か、実は私は知らない。それらは何しろ競争に勝ち上るまでは意識に上らないからだ。
私は分析を受けていたある日、寝椅子に横たわって何かが浮かび上がってくるのをまった。相変わらず心には目まぐるしく、でも静かに何かが浮かんでは消える。私はそれらの中から明らかに「この分析のオフィスで、後ろに座っている分析家に向けて話すのにふさわしい何か」というバイアスをかけつつ待つ。その時ふと、昔母親が作ってくれたオムスビにまつわる出来事が浮かんだ。私の母親に関連した記憶。分析家も興味を持ってくれるかもしれない、という思いもあった。そこでそれをポツポツと話した。その思い出はこうである。大学生卒業間際のころだ。私はもう千葉県の実家にあまり寄り付かなくなっていたが、東京とは比較的近距離のために、時々帰省していた。そんなある日、昼前に東京に戻ろうとしていたとき、母親が帰路でおなかが空いた時に食べるようにと、昼食用にいくつかの小さなオムスビを作ってくれた。母親もその日は所用で昼食を用意する時間がないため、私が東京に持ち帰るように小さな三つのオムスビをビニールの袋に入れて食卓に置き、私にその旨声をかけて一足先に家を出ていた。ところが私は家を出る際に、食卓に出ていたお結びの入った袋を食卓の上に忘れてきてしまった。私はそのことを二時間近くかけて都内に入ったころに思い出した。千葉の実家の食卓の上にぽつんと置かれた三つのオムスビ。私はそれらを急にかわいそうに思ったのだ。もちろんそれを後に帰宅してみた母親の気持ちも考えたが、「ナンだ、忘れて行ったのね」程度の反応であろうことは明らかだ。別にそんなに気にすることもないし、普段そうしてもいない。でも私はオムスビたちが不憫だった。そこで私はふとそれを取りに帰ることを思いついた。おそらく往復で4時間近くの無駄だ。しかもたった三つの小さなオムスビの、しかも母親が特に念入りに作ったわけではなく、無造作に残り物のご飯に海苔を巻いた程度のもののために。でもそれは母親が夕方に所要から帰宅する前に、私がそっと家に忍び込んで取ってこなくてはならなかった・・・。
さてこのエピソード、本当にどうでもいいエピソードだが、5分前にはそんなことを話そうという気持ちすらないものだった。本当にたまたま、他の連想の候補との生存競争をなぜかかって意識に浮かび上がってきた。私の分析家がこれに対してどんなコメントをしたか覚えていない。私が別のことを話したら、その日のセッションはまったく異なる内容になったのだろう。私のテーマの選択も、ある意味では本当に適当で、揺らいでいた。もちろん心のエキスパートのフロイトは、私がこの日にこの思い出を語ったことについて決定論的に考えるだろう。彼は私がこのセッションの前回のセッションで話された内容からあるいは私がそのとき日常生活で、ないしは職場で体験していたことからこのエピソードが語られた根拠を心の探偵のごとく割り出すだろう。でも私は心の中でむしろかなりサイコロを振ることに熱心になっているのだ。それは分析家の前で、早く沈黙を終了し、何か意味のある連想を生み出そうとしていた。いわば「何でもいいから」何かを話そうとしていたことも確かであろう。すると天国のフロイトはまた言うだろう。「それこそが自由連想であり、そういうときにこそ、無意識的に大きな意味を持つ連想がでてくる、ということがこれほど言ってもわからんのか!」そう、フロイトの中で心は揺らいでいないことになっていた。心はロジカルな法則にしたがって動くことになっていたのである。