もしアトラクターが冪乗則に似た仕組みで成立するとしたら、おそらくそれが生じる必然性も理由も特にないということになる。それは生じるべくして生じた、としか言いようがない。すると皆さんの次のような考えはあまり意味がないことになる。
「もし台風10号が発生しなかったとしても、どうせ別の台風が同じように発生していただろう。」
いやいや、それがわからないし、おそらくそうではないところがアトラクターの不思議なところなのだ。台風10号が発生する前は、南太平洋の赤道近くには、将来台風になるかもしれない乱流、ないしは台風の卵がいくつかひしめいていたのであろう。でもそのうちどれかが大物の台風に化けるか、あるいはそれらのなかから台風に化けるものがそもそも存在するのか、ということは予知できなかったはずだ。そもそも台風10号の発生自体が偶発的なものだったのである。すると「もし台風10号が発生しなかったら?」という発想自体にあまり意味がなくなるのだ。それはちょうど 「関東大震災が起きなかったらどうなっていたのか?」 という仮定に意味がないのと同じである。(それとも皆さんはこう思うだろうか?「いや、もし関東大震災が起きなかったとしても、似たような大震災はきっと起きていたはずである。」しかし実はおそらく高い確率で、何も起こらなかったはずである。それは大きな地震であればあるほどレアだからだ。もし起きなかったとしたらその「代わり」がどこかに起きていた可能性は非常に低かったはずだ。) 似た例を挙げよう。あなたのお父さんがたまたま宝くじで一億円を当てたとする。もしお父さんがそれを当てなかったとしたら、きっとお母さんが当てたはずだと思うだろうか? それと同じである。
同じようなことは、例えば第一次大戦とか第二次大戦にも言える。Buchanan の”Ubiquity” に書かれていたことを思い出していただきたい。その本の冒頭には、第一次大戦が1914年6月28日の午前11時にある車の運転手が犯したちょっとした間違いが戦争の勃発につながった様子が描かれている。私はこちらの方を信じるし、そうだとしたらあの大戦も全く偶発的に生じたということになる。その運転手が正しい場所についていたら、同じような形での第一次大戦の勃発はなかったのだ。
私がこう述べたことについては容易に反論が予想される。「でも台風が発生するような状況がそこには存在していたはずだし、ある意味では台風10号の出現は、必然的なものだったのではないか?」同様の議論は地震についても言えることだろう。「あの時はまさにプレートのひずみが極致に達していたのであり、まさに関東大震災が起きたあの地点こそが、それが最大だったはずだ。」
ところが、である。ではなぜ台風や地震の発生は、結局予測不可能なのだろうか?それは地殻のひずみを計測するような正確な機器が存在しないからだろうか?そう考えることは「ラプラスの悪魔」の時代に引き戻されることである。全知の悪魔がいたとしたら、将来何が起きるかはことごとく予想できるはずだ。でも私たちはすでにそうでないことを知っているのである。そのような全知の悪魔は存在しない。それに代わる様な超精密な機器がたとえ地殻の最大のひずみの場所を特定しえたとしても、地震が必ずそこから発生する保証はないのである。