2019年8月23日金曜日

万物は揺らいでいる 推敲 2

株価の揺らぎ 

私が最初に揺らぎの不思議さや面白さを感じたのは、株価の変化についての興味であった。まず以下の図を見ていただきたい。これは高安 秀樹先生の  高安 秀樹先生の経済物理学の発見」 (光文社新書、2004年)
から取ったものだが、同様の図はいくらでも探すことが出来る。左右では時間のスケールが違う。左は数か月間のある株価の変動であり、右はそのうちの数週間分を取り出して拡大した株価の変動である。(もちろん縦の時間のスケールも調整してある。) そして左の図の直線に近いと思われる部分を拡大しても、やはり波打っていることを示しているという図である。
私は株の売買などの投資をしたことは一度しかないので経験に基づいて語ることは出来ないが、おそらく投資家の方なら、この揺らぎに特別の思いを持たれるだろう。株価の少しの上昇、下降は、大勢の人がわずかの間に行ったその株の売買を反映している。特定の個人にとっては、株を買った直後の上向きの揺らぎは儲けを、下向きの揺らぎは損失を意味することになる。そしてそこで株を売るか、買うか、あるいはそのまま持っているかの判断は、その後の揺らぎがどの方向に向かうかによって決めればよいのですが、決して誰も正解を教えてくれない。そしてそれだけにその揺らぎの方向が気になるのだ。私たちはよく思う。
「こんな風に時間とともにギザギザに推移して来ている。ということはこのぐらいの幅でそろそろ上向きかな?」
おそらくそうなるかもしれない。しかし時には予想以上に大きい幅で上向きに動いたりする。そしてそれ自体が今度は少し大きな揺らぎを形成していくのだ。つまり揺らぎは小さな揺らぎと大きな揺らぎの複合体のような動きをしているのである。そしてここが規則的な振動との決定的な違いだ。そして面白いのは、時間のスケールを大きくしても、小さくしても、依然として株価は「同じように」揺らいでいる。つまりそれはそれぞれのスケールで同じ程度の揺らぎ方を示す。これは実は私たちが通常考えるランダムで規則性のない動き、というのとは決定的に違う。ランダムならひと月ごとの株の上下は、一年とか10年のスケールで見れば平坦にならされているはずだ。ところがそうならないのが、揺らぎの実に不思議なところなのだ。 
このスケールを大きくしても小さくしても、結局揺らいでいる、という性質は、別の章で論じる「フラクタル」という概念と関わってくるが、揺らぎの大きな特徴である。そしてその特徴は心理学的には「未来は予測できそうに見えて、出来ない」と言い換えることができるのだ。
未来は予測できない
株価を長い目で見ても短い目で見ても結局揺らいでいる、ということは、結局「株価は予測できない」ということであるとの理解が、おそらく揺らぎの面白さを支えているのではないか。ある事柄について、その未来を予想できないことは、その事柄が揺らぎという性質を持つ、と言い換えてもいいかもしれない。つまり株価は予想が出来ない、ということを示せば、それが揺らぎの性質をいやおうなしに有するということにもなるのだ。
そこで思考実験をしてみる。例えば複数人の投資家(A,B,C,D,E,F・・・・)がいるとしよう。彼らがある品物、たとえばある風景画の取引をするとしよう。一種のセリのようなことを行われることを想像してほしい。ただしこのセリでは値段は上がることも下がることもあり、永遠に続くのが特徴だ。最初はその絵画にはX円という値段が付いている。さっそく投資家AさんがX+1万円で買う。するとBさんは自分はそれを+2万円で買う、と言い出す。Aさんは心の中で「しめた!」と思うかもしれない。ここですぐBさんに売れば1万円の利益が出る。でもここで簡単に売るのを躊躇するかもしれない。というのもCさんが「じゃ、私はそれを+3万円で買う」と言い出すかもしれない。そうなるとそれを売ったBさんの方が2万円の儲けになる。Bさんが自分より儲けるのを、Aさんは指をくわえてみているわけには行かない。だからAさんはその絵を売らないで持っているとしよう。
このようにセリはほんの始まったばかりだが、そこにいる数人の投資家の頭はめまぐるしく動いている。そしてその絵の値段がどのように推移するかを一生懸命予想しようとする。そこでCさんが「この絵は素晴らしいから、きっとこのまま値段が上がっていくだろう」と予想したとする。さんは自分の第六感を信じるのだ。そしてどうしてもその風景画を手に入れたいと思うとしよう。そして「X4万円、いや+5万円!」と買い値を釣り上げていく。ところが さんはある危険な賭けをしていることになる。たとえばX20万円で最終的に絵画を手に入れた さんにはどのような運命が待っているだろうか? 最悪の場合を考えよう。突然 さん以外の投資家がそっぽを向いてしまうのだ。皆はこう言うかもしれない。「でもよく見たらこの絵、安っぽくないか? X円でさえ高いくらいに思えてきたぞ。」「X10万円くらいが相場じゃないだろうか? X20万なんてやはりどう考えても高すぎるぞ。」こうして さんはだれも見向きもしないX20万円の絵画を抱えて途方に暮れるのだ。さんの「この絵は値上がりする」という予想自体はもし正しかったとしても、最終的に買った値段が高すぎるのか、低すぎるのか、ということについては、誰も正確な答えを知らないのである。
ただし現実のセリでは、これと反対のことが起きることも私たちはよく知っている。さんの「この絵はどう見ても本物だ」という言葉に踊らされて、みなが投資に走る。バブル、というわけだ。最後には さんが+10万で絵を買った後、「しまった、キャッシュを十分に持って来ていなかった、これじゃ買えない。残念!」と本気で悔しがるとすると、Dさんが喜んで「では私がその値段で引き取りましょう」となり、さんはまんまと10万円を懐に収めることになる可能性も考えられる。
さてこのごく簡単な思考実験は、ある事実を示している。投資家はその絵画の値がこれから上がると思ったら買い、下がると思ったら売る、ということである。そして上がると思う人が、下がる人より多かったら、絵画の値は上がっていく。さて絵画の値が上がったのをみて、もっと上がると思う人と下がると思う人のどちらが多いかにより、値は上がるか下がるかが決まっていく。ところが昨日ちょっと上がったり下がったりした値が、これから上がるか下がるかを誰が正確に予想できるだろうか? もちろん誰も出来ない。どちらを予想しようと、そこに根拠は存在しないのだ。
しかし「根拠はない」とどうして言えるのか、と皆さんは反論するかもしれない。そこでその予想にはある根拠があるとする。その絵画についてのいいニュースが流れた場合、たとえばその画家が何かの賞を受賞した、などが知られた場合、値が上がることを予想することには根拠があるだろう。またその逆で、その絵画が贋作であるとのうわさがネットで流れたとしよう。すると誰もがその絵の値が下がることを予想する根拠を有することになる。しかしすると今度は、そのような根拠でひとたび生じたその絵画の値の上昇や下降は、今度は行きすぎてしまい、明日にでも揺り戻しが起きるのか、あるいは受賞のニュースを聞いた人がさらに値を釣り上げるのか、は再びわからなくなる。どちらを予想するにしても根拠がない。いやもし根拠があるとしたら、・・・ 以下同文。
   結局株価は少し変動した後は再び、尖った芯の方を下に立っている鉛筆のように、どっちに転んでもおかしくない状態になる。絵画の値段の推移を予想しようにも、その予想自体が一つの刺激となって値が少し上がり下がりし、それから先はまた予測不可能な状態へと戻ってくるのである。