今でこそ揺らぎは一大ブームとも言えるテーマだが、揺らぎはそれこそ宇宙が始まって以来永遠に存在してきた。宇宙の始まりと言われている「ビックバン」はその最大にして最初の揺らぎだったかもしれない。それは大変な激震だったが、それでも「大きな揺らぎ」には違いなかった。考え方によってはビックバンにより起こされた擾乱が揺らぎとして全宇宙に、そして量子レベルでの微小の世界に存在し続けているのかもしれない。そして今でも気温、気圧、海水温、あるいは地震計の示す波形も揺らいでいる。そして私たちの体の体温も、血圧も、脈拍数も、脳波もゆらいでいる。科学やテクノロジーが進んだ現代ではそれらは常識の範囲内かも知れないが、いったんその理由を問い出すと、そこに多くの謎が見いだされる。
揺らぎは常に存在していたにもかかわらず、私たちはそれを「発見」していなかったのである。しかし現象としては同じことが今も昔も起きている。世界は今も昔も揺らいでいるのだ。では揺らぎという概念が生まれる前、揺らぎは私たちの目にはどう映っていたのだろうか? 実は人類は長い間、万物が揺らいでいることを知らなかった。そもそも細かな揺らぎを見出すためには正確な基準が必要になる。しかしたとえば時間に関しては16世紀の終わりにガリレオ・ガリレイが振り子時計を発明するまでは、正確な時間の計測は一般人には全く不可能だった。だから脈拍数が揺らいでいることなど知る由もなかっただろう。何しろ人間の脈拍を比較的正確なものと見なし、時計代わりにする場合もあったのである。
ただしそれでも少し注意深い人であったら、脈拍は呼吸の影響を容易に受けることがすぐにわかるだろう。人は息を吸い込んでいる時は脈拍数が少しだけ上がり、吐いている間は少し下がる。肺が酸素を吸い込んで血液が酸素を運ぶ効率が上がる時には脈を上げ、下がる時は脈も下げるという風にして省エネをしているわけだ。ところが少し注意をすれば見出すことのできるこの揺らぎも、いわゆるノイズ、雑音とされていたわけだ。そこには説明できないものは要らないもの、相手にしなくていいもの、という一種の偏見があった。もちろんそのような傾向は現代の私たちも持っている。ノイズとは余計な音、録音をしようと思っている対象以外の阻害的な音、程度の理解でいいだろう。そもそもノイズとはゴミとして扱われるものなのだ。そしてそれまでノイズと見なされていたものを真剣に取り除こう、ターゲットとなる音を抽出しようという試みがなされるようになって初めて、ノイズの真の性質が解析されるようになり、そこにある種の法則性が見つかり、それが揺らぎという概念と結びついたと考えることもできる。
似たような例を考えよう。海岸から純粋な砂を集めようとする。純粋な砂は砂場を作る際によく売れるとしよう。ただしここでの砂粒とは、岩石が細かい粒に砕けて出来たものを呼ぶとしよう。しかし正確に顕微鏡を用いて除いてみると、砂粒だと思っていたものには砂粒以外のいろいろなもの、ゴミとでも言うべきものが沢山混じっていることがわかった。そしてそれらを取り除くことをせずに砂粒として扱っているうちは、誰もそのゴミの正体を知る必要も、意欲も持たなかっただろう。ところが正確に砂粒とそれ以外のものを峻別するという段になって、初めてゴミと思われた、ものの中にカルシウムを主成分とする粒が一定の割合でピンクがかった粒が明らかになる。人は今度はこちらに夢中になり、その由来を知ろうとする。そして早晩それが珊瑚のかけらであった事がわかるのだ。その一部は近くの珊瑚礁から、別の一部は遠くの珊瑚礁から、あるいは太古の海に存在していた珊瑚礁の名残として残っていて、それがその海の壮大な歴史を物語っていることがわかったとしよう。そして今度はそれのみを集めて綺麗なピンクの砂(珊瑚砂)を集めて売ろうということになるかもしれない。こうして突然ゴミの一部は宝の山になるのである。揺らぎにもこれと似たようなところがある。
最近では、たとえばゲノムのうちのゴミ junk といわれていた部分も実は宝の山だということがわかってきた。これなどはノイズが宝になるといういい例であろう。それまで DNA の含む核酸の配列による情報のほんの2パーセントほどが遺伝子情報としての意味を持つとされてきた。だから98パーセントは「ジャンク(ゴミ) DNA」と呼ばれていたのだ。それがその98パーセントの部分に、どの遺伝子をどのように発現させるかという重要な情報が詰まっているらしいことが分かり、最近では「98パーセントのトレジャー(お宝)DNA」などといわれるようになって来ている。
実は同様のことが神経細胞の研究にも言える。人間の脳にある1000億個とも言われる神経細胞こそが脳の機能を直接担う働きを有すると考えられ、数にしてその数倍はある神経膠細胞(グリア細胞)は単なる結合組織、神経細胞を固めて固定したり、栄養を運ぶだけの細胞と考えられてきたが、今そのグリアに情報伝達の役割が認められるようになり、ここでもジャンク → トレジャーへの変化が起きている。
ともかくも揺らぎは私たち人類がごく最近になりゴミの中から発見した宝、それもこの世の成り立ちの秘密を握るような宝としての意味を見出されたのである。