2019年7月8日月曜日

揺らぎはノイズだった 1

今でこそ揺らぎは一大ブームとも言えるテーマだが、それはそれこそ宇宙が始まって以来永遠に存在してきた。宇宙の始まりと言われている「ビックバン」はその最大にして最初の揺らぎだったかもしれない。考え方によってはビックバンにより起こされた擾乱が揺らぎとして全宇宙に、そして量子レベルでの微小の世界に存在し続けているのかもしれない。
ただし揺らぎという概念が生まれる前、揺らぎは私たちの目にはどう映っていたのだろうか? これに関してはいろいろ考え方があるあろう。たとえば揺らいでいるもののひとつの典型として、私たちの心臓の脈拍がある。しかしはるか昔には、脈拍が時間を計るために用いられていたという歴史もある。脈拍は正確なものであり、時々何らかの理由で不正確になるとしても、本来は時計の秒針のようだと思われていたことの証であろう。すると揺らぎはこの場合は見えなかった、あるいは見ようとしていなかったことになる。「脈拍が秒針のように正確ではないのは誰にも明らかだったのではないか?」と人は言うかもしれない。しかしそもそも時計もない時代に、「正確な秒針の動き」も何もないだろう。そのようなものは人の頭には浮かばなかったはずである。すると心臓の拍動は比較的正確に時間の流れを示すものとして用いられていたとしてもまったく驚くにあたらない。
しかし揺らぎがもっとも理解、ないし誤解される仕方は、いわゆるノイズ、雑音とされていたことである。ノイズとは余計な音、録音をしようと思っている対象以外の阻害的な音、程度の理解でいいだろう。そしておそらく揺らぎが悉くノイズ、雑音であるとは限らない。そもそもノイズとはいらないもの、不要なもの、ゴミとして扱われるものであり、そこにはノイズではない、本来あるべき音という概念があるからこそ生まれてくる。そして人はそのいらない音の由来を深く考えなかったのである。ということはノイズを真剣に取り除こう、ターゲットとなる音を抽出しようという真剣な試みがなされるようになって初めてノイズの性質が解析されるようになり、そこにある種の法則性が見つかり、それが揺らぎという概念と結びついたと考えることもできる。
 似たような例を考えよう。海岸から純粋な砂を集めようとする。純粋な砂は箱庭を作る際によく売れるとしよう。ただしここでの砂粒とは、岩石が細かい粒に砕けて出来たものを考える。しかし正確に顕微鏡を用いて除いてみると、砂粒だと思っていたものには砂粒以外のいろいろなもの、ゴミとでも言うべきものが沢山混じっていることがわかった。そして適当にそれらを取り除いて,おおざっぱに砂粒だけを抽出する際には、誰もそのゴミの正体を知る必要も、意欲も持たなかっただろう。ところが正確に砂粒とそれ以外のものを峻別するという段になって、初めてゴミと思われたものの中に、炭酸カルシウムを主成分とするピンクがかった粒が一定の割合で見られることが明らかになる。人は今度はこちらに夢中になり、その由来を知ろうとする。そして早晩それが珊瑚のかけらであった事がわかるのだ。その一部は近くの珊瑚礁から、別の一部は遠くの珊瑚礁から、あるいは太古の海に存在していた珊瑚礁の名残として残っていて、それがその海の壮大な歴史を物語っていることがわかったとしよう。そして今度はそれのみを集めて綺麗なピンクの砂(珊瑚砂)を集めて売ろうということになるかもしれない。こうして突然ゴミの一部は宝の山になるのである。揺らぎにもこれと似たようなところがある。