2019年7月6日土曜日

解離への誤解 推敲の推敲の推敲 2


この部分、結局すごくトーンダウンした。

いまだに使われる「ヒステリー」という僭称
以上解離性障害がいまだに誤解を受ける原因について、それを疾病利得という概念、精神分析的な理論の隆盛、複数の心の同時的な存在(ポリサイキズム)の信じがたさという三点から論じたが、実はそれらは時代を超えて今でもある程度は存在している。ただし精神医学における疾病概念がこれらの誤解を排する方向で再編されつつあることは言及しておくべきであろう。米国の2013年のDSM-5では、転換性障害に関して、疾病利得はこの障害に特異的ではないために、診断に用いるべきではないと明記され、それを作為症や詐病とは明確に区別して診断すべき点も強調された。柴山はこれに関連して「過去においてヒステリーに向けられがちであったのは、症状の背後に、隠された(意識的ないしは無意識的な)真の意図を見つけ出そうとする眼差しであった。」と述べている(「脳科学事典」(Web版)「変換症」の項目)。
 しかしそれでも現在でも「ヒステリー」という言葉は今でも使われるのだ。例えば職場でのストレスから「うつ病」の診断書を要求する患者に対して、そこに疾病利得の存在を嗅ぎ取った医師は今でもこう呟きかねない。「うつ、というよりはヒステリーだな…。」そして少し話を広げるならば、同様の傾向は現代の社会保障制度が運用される際にもみられる。障害その他のやむを得ない事情で収入を得られない人々に対する公的な救済が行われるためには、そこで必ず上がる「ただ働きたくないだけの人がそれを悪用するのではないか?」という声を凌駕するだけの社会の成熟が必要となるのだ。
ここで誤解を避けるために筆者自身の立場を明らかにしておこう。私は精神疾患において「疾病利得」が存在しないという立場とは異なる。私は疾病利得と呼ばれるものはあらゆる疾患に関与している可能性があると考える。早起きして仕事や学校に行くことがつらい時、たまたま発熱したために病欠の連絡をし、温かい布団に留まることで何か得した気分を味わう人は多いであろう。私たちが体験するあらゆることに何らかの差し引き、つまり得るものと失うものが存在する以上、疾病利得は必然的に生じる。問題はそれが主たる原因で精神、身体症状が頻繁に生み出されるという誤った考えを導きやすいという事である。トラウマ神経症の概念が成立するまでにかかった膨大な時間はそれを教えてくれたはずなのである。