2019年7月4日木曜日

解離への誤解 推敲の推敲の推敲 1


これまで書いたものをちょうど半分の分量にしなくてはならない。

解離の治療に関する最新の、あるいは将来に向けてのテーマについて論じるのが本稿の趣旨である。確かに解離の臨床はいまだに「未開拓」の域を出ていないのではないかと感じることがある。私はこれを決して誇張して言っているつもりはない。それは解離性障害の外来や入院治療の場で現実に露呈していることだ。それらの現状を見る限り、解離はいまだに多くの誤解を受け、おそらくこれからも当分受け続けるであろう。私はこれからきわめてペシミスティックな見解を述べる事になりそうだ。ただし私は「そのような誤解をなくしていかなくてはならない」という論調で書くつもりはない。むしろ「解離が誤解を受けるという宿命は何に由来するのか?」について改めて考えてみたいのだ。
まずある臨床場面を描いてみる。
(中略)

トラウマ関連障害への誤解の歴史

解離性障害を含めたトラウマ関連の精神障害一般は、それが正式に精神疾患と見なされるまでに多くの時間を要した。最初はその存在が否認ないし無視されることから始まったということができる。19世紀の後半は、技術的な近代化と共にその途方もないエネルギーによる被害、特に鉄道災害が、身体的精神的な障害をもたらす可能性が注目されるようになった。ドイツの精神科医 Hermann Oppenheim はトラウマ神経症の概念を提出したが (Oppenheim, 1889)、それが賠償を求める人の増加を生むという懸念から多くの批判にさらされることになった(ミカーリ、2017)。トラウマ神経症概念に反対する急先鋒が精神科医 Alfred Hoche であり、彼はトラウマは症状の発生には触媒的な意味を与えるだけであり、それにより願望複合体 wish complex が出来上がり「神経伝染病 nervous epidemic」が生じると論じた。このように前世紀の初期の段階では、トラウマ関連障害は、疾病利得を求めた一種の詐病、ないしは「ヒステリ-」として扱われる傾向にあったのである。
この後 Kraepelin の「驚愕神経症 Schrtecke Neurosen(1915) や Kardiner の「戦争神経症」(1941)などの形で提案されていたということは注目すべきであるが、それから数十年を要してDSM-Ⅲ(1980)においてようやく三主徴となるフラッシュバック、回避麻痺、過覚醒からなるPTSDの概念が正式に登場することとなった。つまりトラウマ性精神障害の概念が「疾病利得」に基づくものという誤解をようやく払拭し得たのは、比較的最近のことと言えよう。そしてその誤解は実は現代でも全く姿を消したわけではない。

ヒステリー・解離に対する誤解の歴史

トラウマ関連障害の概念は19世紀に生まれたが、それ以前に誤解や曲解を受けていたのが「ヒステリー」と呼ばれる病態であり、その多くの部分を占めていた可能性のある解離、転換性障害である。ヒステリーの歴史は、きわめて誤謬や差別感情に満ちたものであり、それはある意味では現在においても部分的に存在している。本稿ではその誤解の原因について、二つを考えている。一つは精神分析理論の隆盛に付随したものであり、もう一つはそれと関連したいわゆる多心主義の受け入れがたさである。
「子宮遊走」を意味するとされたヒステリーはようやく19世紀に J-M. Charcot により医学の訴状に載せられ、Freud, Janet によりそれが継承された。しかし Freud は精神分析理論を確立して後は、解離という概念を用いなかった。そして人格交代を含めた解離症状が防衛の産物であり、それは解釈により取り除くべきものという考えが主流となった。そのために1980年代にトラウマ関連障害の一つとして解離性同一性障害の存在が注目され始めた頃も、交代人格そのものとのかかわりを拒否するという姿勢を生んだ。
解離性障害に関連した転換性障害はフロイトのヒステリーに対する関心の主たるものであったが、彼はそれを受け容れがたい無意識の心的葛藤が抑圧され、身体症状へと置き換えられる過程と考えた。そしてこの概念に疾病利得という考え方も密接に関係している。すなわち症状は無意識的な葛藤を回避するための手段と見なされたわけである。
他方では Charcot の強い影響下に解離の臨床を行ったJanet の業績は長い間顧みられていなかったが、近年になりその流れを汲んだいわゆる「構造解離理論」の形で集大成されている。その立場から Van der Hart, O らはいわゆる転換症状を、身体レベルで表現された解離症状、身体表現性解離症状 somatoform dissociative symptomsと考え、他方では健忘や人格の多重化等の精神症状は精神表現性解離症状 psychoform dissociative symptomsとして表現した。Janetは解離が有する防衛的な可能性についてほとんど言及しなかったことで知られる。彼の立場は解離においては心に別の中心が出現し、さまざまな症状を生み出すというメカニズムが想定されていた。 
ところで私は解離性障害の中でもDIDに対する誤解のさらなる理由は、複数の人格がひとりの人間の中に存在するというきわめて不思議な現象に対する信じがたさであると考える。そしてこれ自身についても長い歴史がある点について触れておきたい。
力動精神医学の発展の歴史を詳述した「無意識の発見」において、Ellenberger は心はいくつかの部分により構成されているという考えをポリサイキズム Polypsycism 多心主義として紹介している(Ellenberger, 1970)。
このポリサイキズムという概念を最初に唱えたDurand de Gros の概念はかなり大胆なものであったという。彼は人の脳は解剖学的にいくつかのセグメントに分かれ、それぞれが自我を持ち、その自我は独自の記憶を持ち、知覚し、複雑な精神作用を行うといった。すなわち現在のDIDの概念はすでにここに提示されていたのである。