2019年7月16日火曜日

いい加減さ 推敲 4


ビブラートは揺らぎか?
ちなみに揺らぎと快楽についてのテーマを考えるとまず先に私の頭に浮かぶのが、ビブラートのことである。昔ブラスバンドでトランペットを担当した時、一級上の子安先輩が、実にすばらしい音色のトランペットを奏でていた。私は子安先輩のようにきれいな音を出せるにはどうしたらいいかを常に考えていた。すると彼の音は、他のブラスバンドの部員がだれもしなかったことをしていたことに気が付いた。それは彼がビブラートをかけていたという事である。単純な音の連続には決して表すことのできない表情を与えるビブラート。これはいったいなんだろう? まさに音の揺らぎという事なのだが、音が揺らぐことの美しさを体で教わった体験だった。ちなみに私は子安先輩にビブラートがかかっているのはどうしてか、どうやっているのか、といろいろ聞いたことを覚えている。ところが子安先輩は頑なに「自分がそんなことをやっていない!」と否定するのである。しかし彼がよく練習の合間に歌謡曲やムード音楽を吹いている時には、それが美しく揺れているのは確かなのだ。しかし子安先輩は頑なにそれを否定する。私は自分でトランペットのビブラートをかける方法を見つけるしかなかった・・・・。
私はその頃ブラスバンドの中で指導に当たっていた音楽の先生に少しかわいがられていたのを覚えている。練習熱心だし、ちょっとはうまかったのだろう。子安先輩の弟分として見られるようにもなっていた。しかしその私がビブラートの練習をしているのを見て、苦々しい目でしか見られていなかったことも覚えている。確かにクラシックでは、弦楽器をのぞいてビブラートは普通は使わない。ブラスバンドではトランペットなどはパーン、という華やかな金属音を鳴らして貢献するわけで、確かにオーケストラのトランペットの演奏を聞いてもムード音楽で聞かせるようなビブラートのかかった音は聞けない。そのうちビブラートをかけるのは不良のやること、という意識が湧いてきた。子安先輩もそれで頑固に、ブラスパンドの演奏ではビブラートをかけられることを隠していたというところがある。
ちなみに天外伺朗氏は、そのシンセサイザーの研究から、電子楽器の音を、そのスピーカーの前で羽を回すとか、スピーカー自信を首振りさせるなどをすることにより、心地よく聞こえるようにするという事を早くから行っていたという。そこでそれを電子的に生み出そうとしたが、なかなかうまく行かなかったという体験を書いていらっしゃる。(天外伺朗、佐治晴夫 宇宙の揺らぎ・人生のフラクタル(PHPビジネスライブラリー、2000年)
つまりあまり機械的につくられた揺らぎはかえって美しさを損なうという事だろうか。歌唱法に関する書物などを読むと、ビブラートはそれが意識せずに、自然とかけられることに意味があるのだ、だから美しいのだ、という記述にも出あうが、その真偽は私にはわからない。