2019年7月15日月曜日

精神分析における揺らぎ 2



ひとつの例を挙げよう。ただしまったく架空の症例で、私が今作ったものだ。
Aさん(30歳代男性、としよう)は職場でいつも上司との間での確執を起こしてしまう。どうも直属の上司と言い争いをして、煙たがられ、結局職場にいられなくなるという事を何度か起こしている。Aさんはそれを上司からのパラハラと見なす傾向にあるが、これにはAさんの幼少時からの父親との確執が絡んでいることが想像される。その問題を考えたくてAさんは分析を受けることになったが、Aさんのその問題は分析家との関係の中でも少し形を変えたうえで繰り返されることになる。すなわちAさんは分析家(初老期の男性)に対しても敵愾心を向けるが、それは最初は理想化や迎合の混じった見えにくい形で表現され、それは治療関係の深まりとともにより見えやすい形で表現されるようになって行ったのである。分析家はそこに生じた転移関係についての解釈を加えていった。それによりAさんが無意識レベルで抱えていた父親への怒りが意識化され、それはAさんが分析家に対しても向けていたライバル心や怒りを明らかにすることにつながり、彼が分析家に対しても持ち始めていた敵愾心は形を変えていった・・・・。
ここに示された治療の展開はある意味では比較的典型的なものと言えるだろう。というか、そのように作ったのだ。そして分析家がAさんとの間で生じている転移関係をいかに明確にし、解釈の中でその姿を描き出していくかが治療にとってのかなめとなると考えるのが普通だ。ところが実際のAさんとの治療過程で、分析家はこの転移関係以外の様々なことを体験することになる。それは分析家がごく普通の感性を備え、また理論に捉われない素直な目を治療素材に向けていればおのずと見えてくるかもしれない。それは上に簡単にまとめた治療の進行の仕方とはかなり異なるものだった。
たとえばAさんと上司との間に繰り返されている問題。聞いているうちに分析家はこれまでAさんと関係していた上司達の態度に様々な自己愛的な問題を見るような気がする。それらの上司達もまたかつての彼らの上司との間に確執を抱えながらも、迎合することで上司に取り立てられることの方を望んだ。すると上司たちがAさんに対して行う様々なパワハラまがいの関わりには、彼らが上司達には飲みこんでいた鬱憤のはけ口というニュアンスもあり、Aさんはそれに屈することなく立ち向かっていたという側面もありそうだ。するとこれはAさんの父親との間に抱えていたエディプス的な問題と読めると同時に、Aさんが権威に安易に屈せず、自分の意志を貫いていたという側面も見えてくる。というよりこの両方の間を揺らいでいるという側面がある。
さて治療関係だ。Aさんの分析家への敵愾心は、実は分析家が持っていたAさんに対するライバル心、自分に反抗する息子に対する父親としての怒り、といった側面もどうしてもからんでくる。しかしここまで自分の気持ちを表現する患者をほかに体験したことがないため、分析家はAさんの中にある問題、そのためにこの社会で生きづらさを体験しているようなパーソナリティ傾向や、未処理のエディパルな問題も存在している気がする。つまりAさんと分析家との関係は転移関係とも、逆転移の行動化とも考えられる状況の間を動いているという事がわかる。
これでもかなり治療像は分かりにくくなっているが、この分析家がさらに上級の分析家からのスーパービジョンを受けると、また別の視点が加わってくる。Aさんが上司との間で対立を起こす際にしばしば見えてきたのが、上司とのある種の親密な関係がそれに先立っていたという事である。たいていAさんは上司に取り立てられ、かわいがられる。上司はAさんを部下として重用するが、それが一線を越えるとAさんにはある種の不安が生じるらしい。それからAさんの方から上司を突き放す態度が見られるようになり、それが上司の反発を買うことになる。そこにあるのはむしろAさんが持つ親密さへの畏れ、あるいはその背後にある同性愛的な衝動が関係しているようだ・・・・。
この最後のくだりは人間が他者と持つ関わりはきわめて多種多様で、さまざまな文脈を伴っているということを示そうとしたにすぎないが、分析的な治療とは、そのざまざまな捉え方が出来る治療関係に大胆に作図線を引いて一つの理解に落とし込むという行為に近いことがわかる。実際には混沌として予測不能な出来事をそのものとして把握しようとすると、ますます混乱を招き、それは来談者Aさんが望むところではない。そこで治療者はその中のどれかを選び取り、そこにフォーカスを当てていく。分析は揺らぐことを一時停止する。そしてしばらくは世界を定点観察し、また流動的な流れを一時的に固定して考えることにする。その際はとりあえずはAさんが両親との関係の中で抑圧していた感情を想定し、そこに焦点づけをし、治療方針を立てていく。それが精神分析的な手法である。