2019年7月12日金曜日

フロイトと揺らぎ 1


ところでフロイトは「揺らいで」いたのだろうか? 大いに揺らいでいたとは思うが、あまりそれらしい印象がない。少なくとも彼は「揺らぎスト」とは言えなかった。私がフロイトの人生を振り返って思うのは、ある種のダブルスタンダード、使い分けに臆面がなく、それが徹底していたという事である。このダブルスタンダードとはやさしく言えば、理論と実践の不一致という事だ。
カール・ロジャースの概念に「自己一致」というものがある。ひとことで言えば、自己矛盾がないという事だが、フロイトに「あれ、フロイト先生、本にお書きになっていることおやりになっていることが違いますね」と言ったら、彼は肩をすくめて「それがどうしたの?」という顔をすると思う。もちろん内心「しまった!」とは思っていただろう。そして彼の示した揺らぎが、自分自身の方針が定まっていないことへの後ろめたさを多少なりとも感じさせていたに違いない。しかしフロイトはそれに対して悪びれた様子を見せなかったようだ。
フロイトは私生活が人に知られるのを非常に嫌がったことでも知られる。彼は後の伝記作者を困らせるつもりだ、などと言って書きかけの草稿をどんどん焼き捨ててしまった。フロイトの書簡はそれを受け取ったフリースやフェレンチやユングがそれを残していたことでようやく私たちの目に触れることになったのである。
という事はフロイトは揺らぎに気が付き、それを明らかにしようとせず、またそのゆらぎ自体を心地よいと思っていなかったと推定することが出来る。
ちなみに映画「危険なメソッド A Dangerous Method」に描かれていたシーンがやはり思い出される。フロイトはアメリカにわたる船旅の途中で、同伴したユングやフェレンチと夢を語り合ったが、ある時自分の語った内容についてユングに鋭くその内容の詳細を語ることを求められると、「それをやったら私の権威がそこなわれるだろう」と応じなかった。どの程度史実に基づいているかはわからないが、フロイトにはありそうなことだと思う。フロイトは自分の秘密の存在をほのめかしながら、実に堂々と「そんなことカンケ―ないだろ」と言えた。こころの揺らぎに本質部分を見出さないからこそ、切り捨てても平気だったという事だろうか。フロイトには無意識にしっかりとしまわれている思考や欲動が大切なのであり、表面でフラフラ揺れているものには関心を示さなかった、というのが私の理解である。
このフロイトの揺らぎ軽視は、当時の時代背景を抜きには語れない。皆がそうだったのだし、それがヘルムホルツ学派の持つ「実体主義 positivism」の真骨頂だったのだ。実体のあるもの、明確に存在して分節化され得るもの以外にはあまり価値はなかったのだ。
「揺らぎ」という概念や現象について多少なりとも肯定的な見方をするようになったのは、おそらく複雑系の理論が注目を浴びるようになった19701980年代だろう。それまでは揺らぎはそれこそ「ノイズ」や観察の非徹底性を表すことであり、そもそも表に出すべきことではなかった。科学は圧倒的に決定論的な考え方に支配されていたのだ。
さてそれでもフロイトは揺らぎについての重要な示唆を行っていたとも私は考える。それが彼の1916年の論文「儚さについて」である。