2019年6月25日火曜日

解離への誤解 推敲の推敲 2


ヒステリー・解離に対する誤解の歴史

トラウマ関連障害の概念は19世紀に生まれたが、それ以前に誤解や曲解を受けていたのが「ヒステリー」と呼ばれる病態であり、そこに広く関与していた可能性のある解離、転換性障害である。ヒステリーの歴史は、きわめて誤謬や差別感情に満ちたものであり、それはある意味では現在においても部分的に存在していることは、本稿の冒頭で示した通りである。本稿ではその誤解の原因について、精神分析理論の隆盛に付随したもの、そしてそれと関連したいわゆる多心主義の受け入れがたさという二つの項目に分けて論じたい。
ヒステリーが「子宮遊走」を意味し、女性の性的欲求不満と結び付けられて考えられてきたことはよく知られる。それが十数世紀続いた後に19世紀に J-M. Charcot が医学の俎上に載せ、その後の Freud, Janet によりそれが継承されたわけであるが、その後の精神分析の隆盛と解離性障害への誤解にはおそらく深いつながりがある。Freud はその業績の初期にヒステリーが実際の性的な外傷に由来するものであり、そこには解離の機制が深く関与するという考えを放棄し、ほとんど解離という概念を用いなかった。またFreud はその概念をたとえ初期には (J. Breuer の「類催眠」という用語で用いたとしても、あくまでも防衛の一種であると考えた。それは結局は人格交代を含めた解離症状が防衛の産物であり、それは解釈により取り除くべきものという考えが主流となった。そのために1980年代にトラウマ関連障害の一つとして解離性同一性障害の存在が注目され始めた頃も、精神分析のオリエンテーションを持つ治療者の中にはその存在を疑問視したり、その「防衛」を解釈するという姿勢が見られた。それは交代人格そのものとのかかわりを拒否することを意味していたが、それは解離性障害が本来扱われるべき治療態度とは異なるものであった。そしてその根本にある分析的な考えは、心が一つのものである、というモノサイキズムの考え方に従ったものと考えるべきであろう。
 「トラウマ関連障害に対する誤解」の項で見た疾病利得をめぐる誤解は、解離性障害に関してもその誤解を助長する重要な要素であったが、その考えは精神分析から発している点も注意を向けるべきであろう。そしてそれはいわゆる転換性障害と呼ばれる障害の処遇に対する異なる見解が提出されるという形で表れている。転換性障害とは知覚や随意運動に見られる異常に神経学的な所見が伴わない状態を言うが、その「転換」という呼び方はフロイトに由来する。フロイトは、受け容れがたい無意識の心的葛藤が抑圧され、身体症状へと置き換えられる過程を転換/変換(conversion)と呼んだ。そしてこの概念に疾病利得という考え方も密接に関係している。すなわち症状は無意識的な葛藤を回避するための手段と見なされたわけである。
ところが同様の身体所見については、解離の立場からは Van der Hart, O らはそれを解離の諸症状の一系と考え、それを身体表現性解離症状somatoform dissociative symptoms)と考え、精神に現れる精神表現性解離症状psychoform dissociative symptoms)と並行して論じられることになった。こちらの考えによれば、いわゆる転換症状とは解離の一つの表現形態という事になる。それは心的トラウマにより生じた症状の一環であり、そこに無意識的な防衛としての意味を特にふくまない。
ちなみにvan der Hart らによる構造的解離理論 structural dissociation の淵源は Pierre Janet によるが、Janet は解離が有する防衛的な可能性についてほとんど言及しなかったことで知られる。彼の立場は解離においては心に別の中心が出現し、さまざまな症状を生み出すというメカニズムが想定されていた。
 以上の Freud と Janet の見方は対照表が作れるほどに異なる。
l   Freud によれば、転換症状は防衛であり、無意識的に形成されている。治療はその防衛を解釈し除去することである。
l  Janet によれば転換症状はトラウマにより意識下に心の中心が形成されたことが原因である。(したがってそこに作為性はない。)
言い換えるならば、心の理解の仕方には、この Freud 的なそれとJanet 的なそれが、二つのプロトタイプとして私たちの心を捉え続けている可能性がある。
ところで私は解離性障害の中でも DID に対する誤解は特に根強いと考えている。それは複数の人格がひとりの人間の中に存在するというきわめて不思議な現象に対する信じがたさであり、これ自身についても長い歴史がある点について触れておきたい。
力動精神医学の発展の歴史を詳述した「無意識の発見」において、Ellenberger は心はいくつかの部分により構成されているという考えをポリサイキズムPolypsycism 多心主義として紹介している(Ellenberger, 1970)。18世紀において Mesmer の唱えた動物磁気説やそれに伴う手技において人々を驚かせたのは、磁気睡眠magnetic sleep を誘導すると、それまで姿を現したことのないパーソナリティが出現することがあることだった。19世紀の精神医学界においてはこの新たな人格の存在は極めて強い関心を集めた(Ellenberger, p.145)。 
Ellenberger, H.F. (1970): The discovery of Consciousness; the history and evolution of dynamic psychiatry; Basic Books, New York 木村・中井監訳 (1980): 無意識の発見 - 力動精神医学発達史. 弘文堂、東京
このポリサイキズムという概念を最初に唱えた Durand de Gros の概念はかなり大胆なものであったという。彼は人の脳は解剖学的にいくつかのセグメントに分かれ、それぞれが自我を持ち、その自我は独自の記憶を持ち、知覚し、複雑な精神作用を行うといった。しかし普通は「主自我 ego in chief」がそれ以外を統率するが、催眠下ではほかの自我にコンタクトを取れるようになるという。Janet はこの立場を守り解離の理論を打ち立てたが、Freud は早々と解離の理論を棄却し、いわば一つの心の中にポリサイキズムを想定する形で、意識、無意識、前意識からなる局所論モデルを提唱した。おそらくフロイトの中では彼はポリサイキズムをこのような形で保持していたと考えていたのかもしれない。その後精神分析の隆盛とともに解離や多重人格、ポリサイキズムへの関心は急速に失われていった。

いまだに使われる「ヒステリー」という僭称
以上解離性障害がいまだに誤解を受ける原因について、それを疾病利得という概念、精神分析的な理論の隆盛、ポリサイキズム自身の持つ信じがたさという三点から論じたが、実はそれらは時代を超えて今でも存在していると考える。しかし少なくとも精神医学において、疾病概念の刷新がこれらの誤解を配する方向で行われていたことは言及しておくべきである。そしてそれを最もよくあらわしているのが米国において2013年に発表された DSM-5である。そこで行われたことについて、以下の柴山の簡潔な記述を引用しよう。
2013年に発刊されたDSM5二次的疾病利得美しき無関心la belle indifference)は変換症に特異的であるとはいえないため、診断に際して用いるべきではないと明記された。二次疾病利得とは病気になることで二次的に生じる利得のことである。(ちなみに一次疾病利得とは無意識的葛藤が症状形成によって回避されることである。)一般に二次疾病利得は神経症の症状を維持する要因として働くとされる。心理的ストレス因や二次疾病利得など、従来重視されがちであった特徴はあくまで付随的情報にとどめるべきであるとされている。また症状が故意に生み出されたことが明らかである場合には、変換症ではなく作為症 (factitious disorder)詐病 (malingering) と診断されるべきであり、変換症とは診断されない。DSM--TRで診断基準に含まれていたこうした確認が実際には困難であることから、変換症の診断基準から削除された。
 過去においてヒステリーに向けられがちであったのは、症状の背後に、隠された(意識的ないしは無意識的な)真の意図を見つけ出そうとする眼差しであった。前述の、心因、美しき無関心、疾病利得などは、こうした眼差しに通じるものであり、これらにとらわれることは診断や治療において好ましくないことから、こうした今回のDSM-5の変更は、臨床に沿った望ましいものである。」(「脳科学事典」(Web版)「変換症」の項目)