2019年6月1日土曜日

解離はなぜ誤解されるか 1

 ヒステリーの歴史は誤解の歴史であるが、それには何か深いわけがあるのだろう。何しろ現在もこの「ヒステリーの誤解の歴史」は続いている。そしてそれは確かにある種の偏見や差別を伴っているのだ。解離への無理解もどうやらここに関係しているらしいことが想像される。そこで少し歴史をさかのぼってみよう。となるとやはり出発点はエレンベルガーの「無意識の発見」である。私はこれを常にアイパッドに入れている。

心は一つしかありえないという誤解

心はいくつかの部分により構成されているという考えをポリサイキズムPolypsycismと呼ぶ。(poly は複数、psyche は心の意味。) エレンベルガーの日本語訳にはどのように訳されているか知らないが、まあ私は「多心主義」訳したい。そしてその前段階にはディサイキズム dipsychism があったという。二つの心、という意味だが、これは「双心主義」あたりが訳としてはすっきりするだろう。マグネティズムや催眠の研究が人々を驚かせたのは、磁気睡眠 magnetic sleep を誘導すると、それまで姿を現さなかったパーソナリティが出現することがあることだった。そこで19世紀はこの話でもちきりだったのである。そして人間はそもそも上層部の意識と下部意識を持ち、下部意識の方は世界全体とつながっていたり、現在、過去未来を行き来することができるなど、さまざまな思想が生まれたという。
 そしてポリサイキズムという考えが生まれた。Durand de Gros という人の命名だそうだが、彼はずいぶん大胆なことを言った。彼は人の脳は解剖学的にいくつかのセグメントに分かれていて、それぞれが自我を持っているという。彼はそれぞれの自我が記憶を持ち、知覚し、複雑な精神作用を行うといった。しかし普通は「主自我 ego in chief」がそれ以外を統率する (少し違うけれど、基本的な考えは、まだに現代的である!) しかし催眠ではほかの自我にコンタクトを取れるようになるという。
 エレンベルガーがうまくまとめているのだが、「双心主義」はフロイトもジャネもそれに由来しているが、フロイトはポリサイキズムに移る際に意識、無意識、前意識という形をとった点が特徴であったという。でもこれでフロイトは満足してしまったのであろうが、実は全然「ポリ」になっていない。なぜならそれはある意味では一続きの建物が三フロアーに分かれている、と言った体(てい)だったからだ。本当のポリサイキズムだったら、一戸建てがいくつか並んでいなくてはならない。細かい点のように思えるが、解離を理解するうえで絶対的に必要だったのである。
 このように書くとヒステリーや解離に関する理論はすでに100年以上前に確立している。それなりに歴史を持っているのである。それらのになぜ誤解を受け続けるのか。

症状は意図的に作り出されらという誤解

 解離が誤解を受け続けるもう一つの問題がある。それは疾病利得という考えにまつわる誤解だ。つい最近書いた論文に、「心因反応」についてのものがあった。その中で転換性障害についての「疾病利得を求めたものである」という記載が、2013年のDSM-5になってやっと取り払われたという事情について書いた。この「患者さんがワザと症状を作っている」という先入観は精神医学という学問レベルで取り払われたのが2013年(わずか6年前!!)であるということは驚くべきことだろう。患者さんは注目されたいから症状を表しているという誤解、偏見は解離に常にまつわる問題である。そして歴史的には、これはいわゆる戦争神経症に関する誤解と深く結びついていた。いわゆる戦争神経症、現在のPTSDが示す華々しい症状は、「賠償を求めてるためのアピールだ」という誤解を常に受けてきた。