2019年4月21日日曜日

関係性理論へのラブコール


関係性のパラダイムが問い直しているのは、従来の精神分析理論に見られる本質主義であり、解釈主義である。そしてそれは私たちをある悩ましいジレンマに陥れる。精神分析家の役割を無意識に潜む本質的な内容の解釈として捉えることは、フロイトの創始した精神分析理論の中核にありながら、その発展を阻む可能性を有するというジレンマである。そして関係精神分析が解釈主義の代わりに提案するのは、ある種の心のやり取りを患者とともに体験することである。そのやり取りが含む関係性に関する理論は、愛着理論や間主観性理論、一部の対象関係論、フェミニズムなどと共鳴しあいながら大きな理論的な渦を形成しつつあり、もはやその動きを止めることはできない。
関係性をめぐる議論は様々な文脈を含み、とても俯瞰することは困難に思える。しかしその中でアーウィン・ホフマンの提示した理論は、様々な理論を理解するためのメタ理論としての意味合いを持つ。それは心が必然的にある種の弁証法的な動きをすることに、その健康度や創造性が存在するという見方である。
私はホフマンの提唱する、いわば心のあり方の基本形としての「弁証法的構成主義」の理論から多くを学んだが、心のあり方を公式で示すような試みはもちろん多くの反発を招きかねない。しかし同様の試みはウォーコップ・安永理論、ドイツ精神病理学の流れを汲んだ森山公夫や内沼幸雄の理論にも見られた。そもそもフロイトも数多くの心の図式化、公式化を試みたことは私たちがよく知るとおりである。
ホフマンの「弁証法的構成主義」は、実は現在の自然科学でメジャーとなりつつある複雑性理論とも深いつながりを有する。そのなかでも「揺らぎ」の概念は心の本来のあり方を巧みに捉えるとともに、ホフマンの主張を理解するうえでの助けとなるだろう。
 ホフマンの理論の精神分析への貢献は、対人関係のあり方を、よりリアリティを伴った形で描写する方法を与えてくれたことである。患者と治療者は互いに相手を計り知れない他者であると同時に、自分と同じ人間すなわち内的対象として体験するという弁証法が存在する。また分析家は畏怖すべき権威者である一方で、患者と同様に弱さと死すべき運命を担った存在として弁証法的に患者に体験される運命にある。それらの弁証法の一方の極がいかに否認され、捨象されているかを知ることは、心の病理を知る上でのひとつの重要な決め手となるのである。