2019年4月20日土曜日

心因論 推敲の推敲 6


最後をひとつの章にした。ほぼ完成。いろいろ勉強になった。(でも誰も実際の活字になった後も、あまり読まれないだろうなあ)。

最後に-心因、内因、外因の現代的な意義

上述の通り、DSM-5 においては「心因反応」に該当するのは適応障害が残されているに過ぎないという事情を示した。またPTSD,ASDについては、ストレス因の存在は前提とされるものの、それが「正常な心がストレス因により正常の心理的な反応として呈した状態」とは言えないという意味では「心因反応」とは言えないという事情を示した。さらに神経症、転換性障害などはストレス因の存在自体が前提とされなくなったと言う意味で、やはり「心因反応」の条件を満たさなくなったと言える。しかしこの議論を終える前に、そもそも心因、内因、外因という概念の意味が現代の精神医学においては以前持っていた意義を失いつつあると言う点について述べたい。
心因、内因、外因という概念が成立した前世紀初頭は、精神の機能が可視化されるということは通常はなく、また心身二元論的な発想は現在よりはるかに自然に持たれた。心はそれ自身が因果論的に展開し、それ自身の働きに異常が生じるか(Sommer のいう「観念により起こり、観念により影響される病態」としての心因)、脳自身に微細な異常が生じたり外からの明らかな影響が加わることで失調が起きるのか(内因、外因)のいずれかの可能性が考えられたのである。しかしあらゆる精神医学的な障害に関してその生物学的な変化が明らかになりつつある現在では、心と脳とはもはや二元論的に捉えられなくなっている。心が体験したことが脳の在り方を変え、また脳の変化が心の在り方を変える、すなわち両者が相互的に影響を及ぼしあうというのが現代的な捉え方と言える。ただしその相互関係におけるある病的な変化が心の側からのきっかけにより生じたものか、脳の側から生じたものかという分類は依然として意味を失ってはいないであろう。前者としてはいわゆるストレス関連障害がそれに該当し、後者では目立ったストレス因はないものの、気質や遺伝負因が発症に関連したと考えられる多くの精神疾患が当てはまるであろう。そしてその意味で、従来から唱えられていた「ストレス素因モデルStress-diathesis model」は依然として私たちの精神疾患の理解を支えてくれているのである。ただしそこではストレスと素因とは二元論的な関係にあるのではなく、相互が動的な連関を持ちつつ精神のあり方やその病理を形成するという意味が含まれるのである。
「心因反応」概念の発展的解体は、一方では誤解を招く旧来の意味での「ヒステリー」や「疾病利得」の概念を排除しつつ、心身の連関や、現代的な「ストレス素因モデル」の重要性に注目するきっかけとなったと言えるのではないだろうか。