2019年4月12日金曜日

心因論 推敲の推敲 2


20世紀半ばまでの「心因反応」

以下は筆者にとって比較的なじみ深い米国の精神医学の歴史に限定して論じることをお許しいただきたい。前世紀半ばまでは、米国では上述の意味での「心因反応」の概念は、ほぼそのままの形で精神医学の臨床の場において存在していた信じる根拠がある。現在私たちが用いているDSM-52013)の初版は、60年以上前に発行されたDSM-I (1952(実際には「DSM」であるが、それに続くⅡ,Ⅲ・・・と区別する意味でこのように表記する)にさかのぼるが、そこに「心因反応」に該当するものとして記載されていたものは、まず二つがあげられる。それは「成人の状況反応 Adult situational reaction」と「著明なストレス反応gross stress reaction」である。このうち前者は「健康な人が難しい状況で表面的な不適応を起こしたものであり、これが治癒しない場合には精神神経症的な反応に移行する。」と記載されている。つまりこの反応は正常な人の反応であり、その症状も「表面的な不適応」と断ってある点が、まさしく「心因反応」そのものを表したものと言っていいだろう。また後者の「著明なストレス反応」は前者よりも深刻な症状を表すものとして定義されている。すなわち「異常なストレスを被ると、圧倒的な恐れに対して正常な人格は確立された反応のパターンを用いることで対処する。それらは病歴や反応からの回復の可能性や、その一時的な性質に関して神経症や精神病とは異なる。すぐに十分に治療されることですみやかに状態は回復するだろう。この診断は基本的に正常な人々が極度の情緒的ストレス、たとえば戦闘体験や災害(火事、地震、爆発など)を体験した場合に下される。」と記載されているのだ(下線は岡野)。この「著明なストレス反応」は「成人の状況反応」よりも更に深刻な状態と考えられるが、これも定義を見る限りは「心因反応」として理解することができるだろう。(ちなみにこの「著名なストレス反応」はその後のDSM-Ⅲ以降における「急性ストレス障害 ASD」や「心的外傷後ストレス障害 PTSD」に近縁なものと見なされる可能性があるが、両者は微妙に異なるという点については後に述べる。)
ところでこの時代の「心因反応」に該当する可能性のあるものは、これらに留まらない。なぜならDSM-I はそこに掲げられた疾患群の全体が「~反応」と表現されていたのであり、うつ病も「欝反応 depressive reaction」であり、統合失調症でさえ「schizophrenic reaction 統合失調反応」と表現されていたからだ。すなわち明確な器質的な疾患を除いては、あらゆる精神疾患が社会的な環境に対する反応として生じたと考えられていたのであり、その意味ではことごとく心因反応としての色彩を持っていたことになる。
ここで米国の精神医学はその全体が、少なくとも前世紀の半ば過ぎまでは精神分析理論に色濃く影響を受けていたことを理解しなくてはならない。S.Freud は従来のヒステリーの概念をまとめる上で、そこに強迫神経症や不安神経症など、現在私たちが神経症としてカテゴライズするような病態を網羅した。彼は「現実神経症」として神経衰弱と不安神経症を挙げ、実際の性生活に障害があるものとしてた。前者は過度の性衝動の消粍に基づくものであり、後者はその過度の蓄積によるものと考えたのである。また精神神経症に関しては幼少時の性欲動の抑圧により生じるものとしてヒステリー、強迫神経症、恐怖症と自己愛神経症(精神病)を掲げた。そこで神経症レベルの心因反応として上で定義した「心因反応」には、神経症の全体が含まれておかしくないことになる。
しかしここでひとつの問題がある。それは精神分析的な疾病理解がどこまで「了解可能」なのかという本質的な問題である。たとえばFreudは強迫神経症について、肛門期の固着点へのリビドーの退行が起こっていると説明する(Freud, 1909)。強迫的な性格と性器愛の断念とが結びついて、異性との愛情関係で満足が得られなくなると、物質的利益や物そのものに非常に執念深くなったり、他人に対しての思いやりに欠ける冷たい面が現れてきたりするのである。しかしリビドーという概念は物質的、生理学的な意味合いを持ち、また直接感じ取ることが定義上難しい無意識内用の存在が前提とされるため、これらを用いた説明を「原因との関連で了解可能」と考えることが出来るかは議論が多いだろう。意識化できないことは了解もできないであろうはずだからだ。このように前世紀半ばの神経症概念を「心因反応」として理解することには多少なりとも問題が存在することが理解できるだろう。
さらにこの1952年のDSMには、これまで掲げたものとは別の性質を有する「心因反応」の候補が存在する。それは「転換反応 conversion disorder」である。同障害に関する記載を示そう。
不安を呼び起こすような衝動は、(漠然と、あるいは恐怖症のように置き換えられる形で)意識的に体験されるのではなく、通常は意図的にコントロールできるような臓器や体の一部において、機能的な症状に「転換convert」されて現れる。症状は意識的に(感じられる)不安を軽減する役目を果たし、通常は背景にある心的な葛藤にとっての象徴となっている。それらの反応は通常は患者の当座のニードを満たし、すなわち多少なりとも明白な「二次利得」に関連していることになる。それは通常は精神生理学的な自律神経障害と内臓的 visceral 障害とは区別される。「転換反応」という用語は、従来の転換性ヒステリーと同義語である。
この「転換反応」ほど症状の成因についてくだくだしく説明が加えられている障害はない。たとえば強迫性反応(強迫神経症)に関して、その症状が二次利得を満たすか否か、症状が象徴的か否かとかいう説明はない。「解離性反応」でさえこのような但し書きは伴っていないのだ。という事はこの転換反応はやはり特別な意味付けを与えられていることになる。つまりその症状はあたかも患者が意図的にその症状を作り出しているかのような印象を与えるという事をことさらに記載しているのである。歴史的にはまさに「ヒステリー」という概念がこのような性質を担っていた。そして実際にこの転換反応が、従来の転換性ヒステリーと同義語である、という断り書きがなされているのである。
ここでひとつの疑問が生じる。この転換反応は、Jaspers の言う意味での心因反応と言えるのだろうか? 因果関連、了解関連、原因の消失による改善、という三条件のうち、まず1.の原因を考えよう。それがこの転換反応では不明と言わざるを得ない。あえて言うならば、疾病利得を生じさせるような事態、つまり「疾病を得ることで回避できたり獲得できたりすることがらの存在」が「原因」と考えられることになるが、これが通常の心因反応に典型的な形で見られるストレス因とはかなり異質なものであることがわかる。2.の了解可能性についてはさらに難しいことになる。転換症状は現代では「機能性神経症状障害」(DSM-5)と言い表されているように、失声、失立、麻痺、といったあたかも身体疾患の存在を疑わせるような症状が主たるものとなるが、器質的な疾患が見られないという不思議な事態である。その意味でその症状の出現は「了解可能」とはすんなり認められないことが多いからである。さらに3.も、1の原因が不明確である以上は曖昧になる。
以上をまとめるならば、前世紀半ばにおける米国の「心因反応」としては三種が挙げられることになる。第一は「心因反応」の定義に概ね合致するストレス反応の二種(「成人の状況反応」、「著明なストレス反応」)である。第二は神経症一般であるが、それが「心因反応」と呼べるかの判断は難しく、それは無意識的なプロセスも因果関連、了解関連に含むことができるかという判断によることになる。さらに第三の転換反応ないしヒステリーは、いわば別格であり、それは症状の現れ方の面で捉えどころがなく、その意味でそれが了解可能であるためには、それが疾病利得を得るための作為によるもの、つまり一種の虚偽性障害や、場合によっては一種の詐病として理解されなくてはならない。ヒステリーが「心因性」となるためには詐病である必要があったというのは悲しい現実と言えるだろう。